欧州連合の父(おうしゅうれんごうのちち、英語: Founding Fathers of the European Union)とは、欧州共同体(現在では欧州連合)に対して、多大な貢献をしたと考えられている男性のメンバーを指す。
欧州連合創立の父
欧州連合は、以下に欧州連合創立の父としてリストに挙げている[1]。
上記以外の人物も含まれる事がある
[2]。
欧州連合の提唱とローマ条約
リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー(1894-1972)は、1923年に汎ヨーロッパ主義(パン・ヨーロッパ主義)を提唱し、国際汎ヨーロッパ連合のマニフェストを出版したのが最初である。1950年代初めに、ジャン・モネ(1888-1979)の計画を基に、ロベール・シューマン (1886-1963)がシューマン宣言の中で、欧州石炭鉄鋼共同体を提唱した。モネは欧州委員会の初代委員長に就任した。後にシューマンは欧州議会の委員長として奉職し、欧州統合を推進した人物として有名になった[3]。
ローマ条約により創立した組織が、欧州経済共同体である。しかし、欧州連合創立の父のメンバーとして知られる中では条約に調印しなかった者もいた。例えばポール=アンリ・スパーク(1899-1972)はベネルクス連合として既に勤務しており、初代欧州議会委員長となっていたため、調印しなかった[3]。他に条約に調印した欧州連合創立の父のメンバーには、コンラート・アデナウアー(1876-1967)[4]、ジョゼフ・ベッシュ(1887-1975)がいる[5]。
その他の人物
それ以外にも、欧州連合創立の父としてみなされているメンバーもいる:フランスの文豪として知られるヴィクトル・ユーゴー(1802年~1885年)は、1849年にパリで開かれた国際平和会議(英語版)で、ヨーロッパ合衆国の概念を提唱した。ウィンストン・チャーチル(1874年~1965年)は1946年にチューリッヒで、長年温めてきた欧州評議会の創立を訴えた(数年後に実現した)。ジャック・ドロール(1925年~)は1980年代から1990年代にかけて欧州委員会委員長を長期にわたって務めた。シッコ・マンスホルト(1908年~1995年)はオランダの首相と兼任で欧州委員会委員長を務めた。ローレンツ・ナタリ(1922年~1989年)も含まれる。マリオ・ソアレス(1924年~2017年)はポルトガルの大統領として、ポルトガルをECに加盟させた。アルティエロ・スピネッリ(1907年~1986年)は欧州連邦主義運動を興した共産主義グループ所属の欧州議会議員であり、欧州連合設立条約草案を採択させたことで有名である。そして、ピエール・ヴェルナー(英語版)(1913年~2002年)はルクセンブルクの首相になった[4]。
脚注
関連項目