榎本好宏(えのもと よしひろ、 1937年4月5日 - 2022年2月2日[1][2])は、日本の俳人。
東京生まれ[3]。1970年、「杉」創刊に参画[3]。主宰の森澄雄に40年間師事し[3]、「杉」編集長を18年担当した[3]。森の死後に「杉」を退会。2010年、句集『祭詩』で第49回俳人協会賞受賞[2]。2015年、『懐かしき子供の遊び歳時記』で第29回俳人協会評論賞受賞[1]。『件』同人。選者を務めた俳誌『會津』終刊後、2014年、俳誌「航」を創刊、主宰[2]。1996年から10余年にわたり福島県只見川流域の9町村と協力して、「歳時記の郷・奥会津 全国俳句大会」事業の企画・運営に携わった。
読売新聞地方版「よみうり文芸」選者[3]。俳人協会名誉会員[2]、日本文藝家協会、日本エッセイスト・クラブの会員だった。[3]
2022年2月2日、肝臓がんのため84歳で逝去。
代表句は
三月は人の高さに歩み来る
枕絵といふ菜の花の如きもの
金亀虫アッツに父を失ひき
滝さらに自在に落ちてよかりしに
独活食うて世に百尋も遅れけり
知覧
母様(かかさま)へ椎の若葉が匂ひます
神楽いま早池峰に音還しけり
更衣見るべき花を見尽くして
こつつんと切子置かるる酒冷し
千里とは万葉人の冬の星
などがある。
作風は40年師事した森澄雄の影響もあり、大和ことばによるなめらかな調べを重視したが、後年は自ら創設した結社「航」のこころざしとして「おのおのが持つ無意識下のやわらかい自己の発現をめざす」を掲げ、己れの中に顕つ不思議の具現を追求した。