楢錦 政吉(ならにしき まさきち、1894年3月10日 - 1973年7月16日[1])は、秋田県仙北郡南外村(現在の大仙市)出身で湊川部屋(入門時は追手風部屋)に所属した力士。本名は佐藤 政吉(さとう まさきち)。171cm、86kg。最高位は西前頭筆頭。得意手は右四つ、押し。
入門する前は盛岡高等農林学校で相撲選手として活躍していたが、郷里の地主と父に勧められて追手風部屋へ入門、1914年1月場所で初土俵を踏む。1916年に湊川部屋独立に際して移籍、1918年5月場所十両昇進。1923年1月場所に入幕、勝率4割程度ながら筆頭まで進んだ。前捌きのうまさが知られていた。1927年の師匠の死去により、部屋の後継候補にも目されたがかなわず、1927年10月場所限りで廃業した。廃業後は岐阜県多治見市で陶器販売業を営んだ。戦時中は秋田県に疎開して農業に従事し、戦後は再び岐阜県に戻って石炭販売業を営んだ。1973年7月16日に死去。79歳没。