楠木 正理(くすのき まさみち)は、室町時代の北畠家および後南朝の武将。楠木正成の直系の子孫で、父は伊勢楠木氏初代当主楠木正顕。
応永12年(1405年)[注釈 1]、伊勢楠木氏初代当主楠木正顕の次男として生誕、兄の正重の同母弟、幼名は二郎(『全休庵楠系図』[1])。
娘がいたが別家し、菅生氏と号した(『全休庵楠系図』[1])。
兄の正重は桑名の刀工村正の弟子となり、弟の正威は嘉吉3年9月25日(1443年10月18日)、禁闕の変で討死(『全休庵楠系図』[1])。
弟と同じく後南朝の再興運動に参加。文安4年12月(1448年1月もしくは2月)、紀伊国北山八幡で討死(→護聖院宮#その後)、享年は数え43歳(『全休庵楠系図』[1])。