森 長隆(もり ながたか、永禄9年(1566年) - 天正10年6月2日(1582年6月21日))は、織田信長の小姓の一人。森可成の四男で、森長可、森成利(森乱、森蘭丸)らの弟。森長氏(力丸)らの兄に当たる。幼名・通称は坊丸(ぼうまる)。
信長の小姓の一人で、天正10年(1582年)の本能寺の変に際し、信長に最後まで付き従って本能寺で戦死した(『信長公記』)。享年17。
法号:祐月宗徳居士、夏山清凉信士[1]。墓所:阿弥陀寺、可成寺(岐阜県可児市)。