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梅ヶ島温泉を含めた温泉郷については「梅ヶ島温泉郷」をご覧ください。 |
梅ヶ島温泉(2013年5月)
梅ヶ島温泉(うめがしまおんせん)は、静岡県静岡市葵区(旧国駿河国)にある温泉。コンヤ温泉や梅ヶ島新田温泉とともに梅ヶ島温泉郷を構成する[1]。
泉質
温泉街
深山幽谷という表現が適切な環境にあり、安倍川源流の河畔に、一直線上に旅館が並ぶ。木造の素朴な旅館が多く、家庭的な雰囲気を持っている。安倍の大滝へも近い[1]。
源泉数は12で、旅館が6施設、民泊施設、公衆浴場2施設がある(2023年現在)[1]。日帰り入浴施設は、各旅館・民宿でも可能であるが、日帰り入浴専門としては「湯元屋」がある。食事・売店もこの「湯元屋」一軒のみ。
歴史
1913年(大正2年)、当時の靜岡縣安倍郡梅ヶ島村役場により編集された『安倍郡梅ヶ島村誌』によれば、当時までに伝承されてきたこととして「口碑 徃古仙人の林間分け入りしにより発見せられたりといいその後応神天皇の御待黄金湯の名称を賜りしという」とあるため、この伝承によれば約1700年前の応神天皇の4世紀にはすでに知られていたことになり、梅ヶ島温泉の発見はさらにそこから遡ることになる。
戦国時代には「武田信玄の隠し湯」だったという伝承がある[1]。その後も徳川家康、徳川秀忠、勝海舟、清水次郎長、山岡鉄舟、乃木希典などが訪れたとの記録がある[1]。
江戸時代初期には良純入道親王が湯治し、その霊験ぶりに感激し、神社を開いている。(俗にいう三蛇権現、三匹の蛇に導かれて梅ヶ島温泉に到達したという言い伝え)三種の神器も、老舗旅館、梅薫楼のほか地元の民家に保存されている。現在は、源泉跡地に湯之神社として現存している。
第二次世界大戦時には帝国陸軍病院の分院が設置され接収された[1]。
昭和の世になってからは、歌人の吉井勇が長逗留の時に「梅ヶ島遊草」を詠ったり、茂木草介が「太閤記 (NHK大河ドラマ)」を書き上げたり、といった、文人達に好まれる湯治温泉地となった[1]。
1955年(昭和30年)に、梅薫楼から静岡市に源泉の権利が返された。
1966年(昭和41年)9月25日、台風第24・26号災害により壊滅的な被害を受けるが、その後、復興した。
2017年(平成29年)5月15日、近隣のコンヤ温泉・新田温泉・金山温泉とともに梅ヶ島温泉郷として環境省による国民保養温泉地に指定された[2][注釈 1]。
アクセス
注釈
- ^ なお、環境省の国民保養温泉地計画書では、2017年(平成29年)5月の計画書では梅ヶ島金山温泉を含めた4温泉の総称としているが[3]、2023年(令和5年)3月の計画書では梅ヶ島金山温泉以外の3温泉の総称としている[1]。
脚注
外部リンク
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梅ヶ島温泉に関連するカテゴリがあります。
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