桜井 孝司(さくらい たかし、1977年5月4日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。
1995年の第74回全国高等学校サッカー選手権大会では、南雄太、石井俊也、塩川岳人、森川拓巳らと共に全国優勝を果たした。
卒業後横浜フリューゲルスに入団。程なくアルゼンチンのクラブ・デ・ヒムナシア・イ・エスグリマ・ラ・プラタにサッカー留学を行った[1]。帰国した翌年の1999年元日の天皇杯優勝を最後にチームは消滅。1999年はコンサドーレ札幌と契約したが、旧フリューゲルス選手の中では契約先が最後に決まった選手である[2]。
現在は㈱ラベッタの代表として、サッカースクールの運営・コーチ・全国各地で行われるサッカークリニックなどサッカーの普及活動を行っている。
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