桂春院(けいしゅんいん)は、京都市右京区花園にある臨済宗の寺院。臨済宗妙心寺派大本山妙心寺の塔頭である。退蔵院・大心院とともに通年公開されている妙心寺塔頭の1つである。
歴史
慶長3年(1598年)に織田信忠(織田信長の長男)の次男・織田秀則(津田秀則)が水庵宗掬(すいあんそうきく)を開祖として見性院(けんしょういん)を創建。
秀則死後、美濃の豪族・石河貞政(いしこさだまさ)が寛永9年(1632年)に父の50年忌の追善供養のために桂南守仙(けいなんしゅせん)を請じて建物を整備し、父の法名「天仙守桂大禅定門」・母の法名「裳陰妙春大姉」から1文字ずつをとり桂春院と改めた。
建造物
方丈(本堂)
京都府指定有形文化財。
寛永8年(1631年)に建立された単層入母屋造・桟瓦葺の建物で、内部は狩野山楽の弟子である狩野山雪による襖絵で飾られている。このうち「金碧松三日月図」は狩野山雪の筆によるもので、かつては仏壇背後に貼り付けられていたが、襖絵へと改装された。
既白庵(きはくあん)
石河貞政が寛永8年(1631年)に城主を務めていた長浜城から書院ともに移築した茶室。深三畳台目、杮葺、東側を切妻造として出庇をつける。藤村庸軒流の茶室と伝えられる。
なお妙心寺では詩歌・茶道などは修行の妨げになるため厳禁だったが、建物の隅に隠れるように茶室を建て,ひそかに茶を楽しんでいた。
その他
- 書院(京都府指定有形文化財)
- 庫裏(京都府指定有形文化財)
- 表門(京都府指定有形文化財)
庭園
江戸時代の作庭で、江戸時代に小堀遠州の弟子、玉淵坊により作庭された四つの庭園は、修行に入った人が悟りを開くまでを表しており、国の名勝・史跡に指定されている。
- 清浄の庭
- 方丈北側の枯山水の壺庭で、片隅には紀州の巨岩・奇石が直立した枯滝が配されている。石組みの滝の響き、白砂の渓流の音の表現を眺めて身を清める庭。
- 侘(わび)の庭
- 書院から既白庵へと通じる露地庭で、梅軒門と猿戸によって内露地と外露地に分けられ,苔に覆われた蹲踞が隠れるように置かれている。巧みに作られた静寂の侘びの空間で心を整える庭。
- 思惟(しい)の庭
- 方丈の東側に広がる庭で、梅軒門より飛石が延び,露地風の趣きある庭園である。方丈の東側の左右の築山に、点在する石を十六羅漢石、中央の礎石を坐禅石にみたてて、さながら深山幽谷、仙境の地の中で坐禅を組み思いに耽る様を表している。
- 真如(しんにょ)の庭
- 方丈南側の庭園で、生いしげる楓の樹木を背景に、サツキ・霧島ツツジ・馬酔木などがバランスよく植えられている。地面一面に杉苔の美しい中、小さな庭石をさりげなく七・五・三風に配置して十五夜の満月(悟り)を表現している。
文化財
所在地・アクセス
関連項目
外部リンク
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