柳沢 安弘(やなぎさわ やすひろ)は、江戸時代中期の旗本。通称は内記、源七郎。号は弘運。
武蔵国川越藩士(のち大和国郡山藩士)・柳沢保教(柳沢吉保の姉婿である柳沢信花の甥で養子)の次男。母は播磨国林田藩士・田中小右衛門の娘。柳沢時附の養子。妻は時附の娘。
安弘の致仕後、次男の安長が家督を継いだ。
年表
※日付は旧暦
- 元文5年(1740年)12月3日 - 養父時附の致仕に伴い、家督を相続する
- 寛保1年(1741年)10月28日 - 西丸小姓組の番士となる
- 宝暦5年(1755年)8月15日 - 西丸裏門番頭となる
- 宝暦5年(1755年)12月18日 - 布衣の着用を許される(六位相当となる)
- 明和2年(1765年)3月16日 - 西丸裏門番頭を辞職し寄合となる。その際に時服3領を拝領する
- 明和2年(1765年)8月4日 - 致仕。その際に養老料として300俵を得る。嫡男の安長が家督を継ぐ
- 安永8年(1779年)11月13日 - 死去。享年86。月桂寺に葬られる。法名は宗泉
系譜
- 父:柳沢保教
- 母:田中小右衛門の娘
- 養父:柳沢時附(?-1741)
- 室:柳沢時附の娘
- 生母不明の子女
参考文献
柳沢宗家5代当主(1740年 - 1765年) |
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- 信興????-????
- 貞興????-????
- 信房????-????
- 信兼????-1580
- 信俊1580-1614
- 安吉1614-1685
- 時憲1685-1697
- 時附1698-1740
- 安弘1740-1765
- 安長1765-1797
- 政位1797-1808
- 政倚1808-????
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