板垣退助先生顕彰会(いたがきたいすけせんせいけんしょうかい)は 、1968年(昭和43年)
自由民主党総裁・佐藤栄作の意を受けて、板垣退助を顕彰する目的で東京都千代田区の東京高知県事務所において設立された文化学術団体[3]。現在は髙岡功太郎を理事長とし大阪府大阪市に本部を置く、非営利活動型の一般社団法人で「真に正しき道を歩む」として現代維新を実現する為の草莽崛起を呼びかけている[4][5]。
設立
戦後55年体制により、「自由党」と「日本民主党」が合併し「自由民主党」に名称変更したが、佐藤栄作はこの「自民党」こそが板垣退助が創設した愛国公党ならびに自由党の正統な後継組織であり、民撰議院設立の建白より連なる日本最古の政治政党であることを誇りに思っていた。しかし、同時に「自由党」が「自民党」と呼称変更したことにより、年月を経るごとに次第に板垣退助との関係が忘れられてしまうのではないかとの不安を抱いていた[5]。
同じ頃、高知県選出の自民党参議院議員・寺尾豊は、高知県に本部を置く板垣退助を顕彰する団体・財団法人板垣会の会長を兼任し、毎年、7月16日の板垣退助の命日に、板垣の生誕地址の建つ寺院・高野寺で法要を営んできたが、「五十回忌こそは実際に板垣退助の遺体が埋葬されている、東京品川で挙行したい」と考えていた。また同時に、その時は「高知県民たちだけではなく、中央を捲き込んで、板垣退助にゆかりある方々を御来賓としてお招きし盛大に挙行したい」と考えていた[5]。
折しも「板垣退助薨去五十回忌」の年である昭和43年(1968年)は、同時に「明治百年」を迎える年となるため、全国各地で明治維新を回顧する催しが行われており、佐藤栄作と寺尾豊の思いが一致した結果、「板垣退助薨去五十回忌」記念事業を推進するために、東京を拠点とする「板垣退助先生顕彰会」が設立されることになった[3]。
設立にあたっては佐藤栄作を名誉総裁、福田赳夫を副名誉総裁、高知県知事の溝渕増巳を名誉会長とし、旧土佐藩主末裔・山内豊秋を最高顧問、財団法人板垣会の会長でもあった参議院議員・寺尾豊が「板垣退助先生顕彰会」の会長を兼任、板垣退助親族や自由民主党議員、旧土佐藩家臣末裔、自由民権運動関係者、東京角力協会、都心部在住の高知県出身者、無雙直傳英信流居合関係者、学術研究者などが名を連ねた[3]。
高知県の財団法人板垣会の会長・寺尾豊が、同団体の会長も兼任したことから、設立当初は「板垣退助先生顕彰会」と両方に所属している会員が複数おり、これに日光東照宮を中心とする日光板垣会、岐阜公園を活動拠点とする岐阜板垣会、奥多摩・青梅市を中心とする青梅板垣会の会員らが呼び掛けに応じて加わり、東京を中心とする全国組織として結成された[5]。(当時の略称は「東京板垣会」)
創立発起人
以下『板垣退助先生顕彰会発起人名簿』による[5]。
活動(初期)
明治維新百年・板垣退助薨去五十年祭
石碑建立
分骨墓建立
立國の大本を再版
慰霊祭
- 昭和45年(1970年)より、毎年7月初旬に東京品川の板垣退助墓所の清掃、7月16日慰霊祭を斎行。直会の席を兼ねて国家戦略会議を開くが、議論が深まるにつれ機密条項に触れる内容が含まれる可能性が出た為、以後、活動を非公開化した[3]。(のち仏式にて法要の形式に改む。読経は高源院住職・岩﨑宗光[5])
失地回復
自主憲法制定に向けて
ギャラリー
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明治維新・伏見戦跡碑
(佐藤栄作書)
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板垣退助分骨墓
(高知・板垣山)
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板垣家歴代墓所
(高知・板垣山)
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板垣家歴代墓所
(東京・品川)
活動(髙岡体制以降)
社団法人化
平成30年(2018年)が「明治維新150年・板垣退助百回忌」の年となるため、平成23年(2011年)頃より、「明治百年・板垣退助五十回忌墓前祭」の資料を基に、かつてのような全国規模で「板垣退助百回忌」を斎行しようとの建議が関係者の中で活発化。同時期、高知県に本部を置く「財団法人板垣会」も活動を刷新し、平成27年(2015年)10月5日、NPO法人に移行した。「板垣退助先生顕彰会」もこの動きに呼応し、平成28年(2016年)10月18日、大阪太融寺において「一般社団法人化」へ向けての「準備会」を設立。同年12月、押谷富三の孫にあたる西口洋らも関与して法人登記に必要な施策を議し、役員を選定した[5][27]。
平成29年(2017年)1月12日、板垣退助の玄孫・髙岡功太郎[28][22]を代表理事、自民党衆議院議員・長尾敬、実業家・草刈健太郎を理事、大坪宏通を監事、西口洋[29]を本部長とし、理事会・監事設置式非営利活動型一般社団法人として登記を完了。同1月16日、法人番号の指定を受け、百回忌記念事業推進の基礎を固めた[5]。
平成30年(2018年)1月25日、天皇陛下御即位30年奉祝記念事業実行委員に就任し、記念事業を推進[30]。
特筆すべき活動
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同上(裏面)
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特別位牌奉納
記念書籍編纂
- 明治維新150年・板垣退助百回忌記念書籍『板垣精神』の編纂と出版[34]。
- 土佐藩政文書に詳細な『板垣家系譜(乾家譜)』がありながら崩し字(御家流)で書かれている為、従来抄訳しかなかったものの全文を読解し活字翻刻[5]。
- 明治5年以降~現在に至るまで除籍謄本を基に、板垣退助の男系・女系全子孫の特定[5]。
- 板垣退助の先祖父系・母系全系統(扇型系図)の特定。
- 板垣退助居住地総ての現在地の特定[35]。
- 板垣退助未公開写真の公表[36]。
- 板垣退助のDNA解析結果の公表[5]。
- 板垣退助子孫らによる手記の公表[5]。
板垣退助百回忌記念事業
草莽崛起
功労者顕彰
- 平成31年(2019年)3月2日、板垣退助百回忌記念書籍『板垣精神』出版祝賀会の席上において、永年にわたり板垣退助の顕彰に努めた人物ならびに、板垣退助百回忌顕彰事業に功労のあった人物を顕彰し表彰を行った[42]。なお受賞者には物故者も含まれている[42]。
- 永年功労賞
- 北代巌雄(故人) - 40年以上にわたり高知板垣山墓所の清掃に従事[43]。
- 古谷俊夫 - 20年以上にわたり高知板垣会の会長として板垣退助の顕彰を行った。
- 澤田榮作 - 20年以上にわたり岐阜板垣会の会長として板垣退助の顕彰を行った。
- 百回忌記念事業功労賞
- 草刈健太郎、上中輝治、武田勝彦、細川恵吾、猪亦誠、杦田勘一郎ほか。
石碑建立
(除幕:浅野造史、内藤明信、中野俊洋、題字:髙岡功太郎揮毫、祝詞奏上:木村隆比古、司会:西口洋[46][47])
墓所管理
現代語訳
明治維新のDNAの解析と保存
明治維新150年を迎えるにあたり、近代日本の骨格を創りあげたDNAについて、これを考究することを決議。『板垣退助のグレート・ジャーニー』と題し、同プロジェクトに参加し、被験者として解析された人物は107名を数えた[50]。その中には、旧皇族で臣籍降下された男性の子孫や政治家、総理大臣経験者、旧海軍大臣の子孫、旧財閥関係者、大手新聞社の記者、報道関係者など多彩な顔ぶれが含まれており、現在も明治維新に関わるDNAサンプル提供者を広く募集している[19]。この板垣退助百回忌記念事業において、特筆すべき成果は以下のようなものがある[51]。
その他、平成26年(2014年)から令和元年(2019年)にかけては青森・岩手・宮城出身の参加者から弥生系を示す47zの下流域のSNPであるO-CTS11986が検出されたため、Family Tree DNA社の次世代型シーケンサーによる解析[66]を行い、それぞれISOGGに未登録の枝である、宮城(ACT4054)、岩手(Y130364)、青森(BY178096)のSNPを発見[67]。また熊本・京都出身の参加者からも同上の解析を行い、これらから「FT217340」のSNPを世界で初めて検出し、ISOGGに未登録の弥生系の分岐序列を解明するなどの成果を挙げた[68][67]。
| M176 | | F855 | | CTS9259 | | F1204(K10) | | | | |
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| | 47z (K7) | | CTS1348 | | CTS11986 | | | | | | | | | | | | | | | | | |
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| | | | | | | CTS8379 | | ACT4054 | | | | | | | | | | | | | | | | |
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| | | | | | | Y130364 | | CTS2748 | | | | | | | | | | | | | | | | |
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| | | | | | | | | | | Z24599 | | CTS1351 | | | | | | | | | | | | |
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| | | | | | | | | | | | | | | | BY146002 | | Y130014 | | | | | | | |
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| | | | | | | | | | | | | | | | CTS9852 | | | | | | | | | | | | |
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| | | | | | | | | | | K14 | | Z24594 | | CTS525 | | FT217340 | | | | | |
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| | | | | | | | | | | | | | | | FT350225 | | CTS11088 | | | | | | | |
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| | | | | | | | | | | BY179281 | | BY178096 | | BY178807 | | | | | | | | |
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| | | | | | | | | | | Y126340 | | | | | | | | | | | | | | | | |
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| | F2868 | | L682 | | CTS723 | | Y24057 | | | | | | | | | | | | |
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| | | | | | F940 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |
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| | CTS7620 | | CTS4596 | | Y61286 | | | | | | | | | | | | | | | |
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| | | | | | | | | | | | Page90 | | BY162375 | | | | | | | | | | | |
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| | | | | | | | | | | | CTS1175 | | | | | | | | | | | | | | | |
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| | | | | | | MF14346 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |
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| | A12446 | | PH40 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |
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| | | | | | | FGC67537 | | FT41750 | | | | | | | | | | | | | | | |
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| | MF14220 | | | | | | | | FGC67568 | | | | | | | | | | | | | | | |
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| | Y72859 | | | MF16242 | | MF14245 | | FT281275 | | | | | | | | | | | |
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(出典)"Y-Full"(Ver.12.00), "FTDNA Big Y Tree"
義士顕彰
大村益次郎像建立
岐阜東照宮
板垣精神の顕彰
安倍晋三元総理の事績顕彰
板垣退助ゆかりの地を巡るタイムトラベル・ツアー
- 膨大なエビデンスを基に、現在地を特定。板垣退助の旧邸であった場所や、ゆかりの場所などが、現在どの様になっているかを訪ね、当時を偲ぶもの。
教科書・学習図書への史料提供
- 教科書・学習図書への掲載用として、板垣退助の古い時代の高画質の写真等を提供している。
シンポジウム
令和5年(2023年)10月29日、福島県地域創生総合支援事業として福島県郡山市で開催された『薩摩琵琶演奏と末裔たちのシンポジウム』で髙岡は『板垣退助と河野広中の勤皇精神 -五箇条御誓文と億兆安撫國威宣揚御宸翰- を軸とした東北に於ける展開』を講演した。このシンポジウムは安積疏水の建設や開拓事業を通じて明治維新の功績を顕彰するもので、明治維新政府に携わった末裔たちの子孫として大久保洋子[93]、鈴木英雄[94]、髙岡功太郎[95]、山本盛隆[96]らが集った。会場は丹下健三の設計による2000人収容可能な郡山女子大学建学記念講堂大ホールで、志學館大学教授・原口泉が基調講演を行い、錦心流一水会・鎌田薫水による薩摩琵琶の演奏が会場を盛り上げた[97]。
献歌
板垣退助へ
平成30年(2018年)7月16日、高知・高野寺『板垣退助百回忌法要・記念位牌奉納式』に臨みて[98]。
- 百年を 經てなほ今も 朽ち果てぬ
精神託さむ 位牌の裏に 髙岡功太郎
平成30年(2018年)9月29日、東京・品川高源院墓所(品川神社裏)『板垣退助墓前百回忌法要』において[99]。
- 湊川 散りし男子の 跡享けて
君また七度 生れし人かも 楠正至
母成峠・戊辰戦争東軍墓地にて
令和5年(2023年)10月28日、福島県・母成峠古戦場跡および、その眼下にある東軍墓地に参りて詠める歌[100][101]。
- 陸奥に 散る身 戰の跡訪ぬ
くれなゐ染むる やまを仰ぎて 髙岡功太郎
戊辰戦争西軍墓地にて
令和5年(2023年)10月30日、福島県会津若松市大町の東明寺管理地にある西軍墓地に参りて詠める[102][101][103]。
- みちのくに 散る皇軍の あと訪ぬ
紅そむる 山をあふぎて 髙岡功太郎
三島由紀夫・森田必勝両烈士へ
令和5年(2023年)11月19日、大阪護國神社にて斎行された『三島由紀夫・森田必勝両烈士追悼五十三周年慰霊祭』において献歌[104]。
- ほとばしる 血潮に託し 身罷れる
烈士たちの 心絶やさじ 髙岡功太郎
安倍晋三元総理へ
令和4年(2022年)7月8日、安倍晋三元総理の殉難死の報道に接して詠める歌[105][106]。
- 愛國の 遺志受け繼ぎ 國民に
語りし壮士 再た一人逝く 髙岡功太郎
令和4年(2022年)7月10日、安倍晋三元総理の殉難地・大和西大寺にて献花に臨みたるときに詠める歌[107]。
- 今も未だ 君の魂この場所に
存ると信じて 花を獻けむ 髙岡功太郎
令和5年(2023年)3月26日、大阪護國神社『桜の季節に安倍晋三元総理を偲ぶ慰霊祭』にて神前に奏上[108]。
- 國思ひ 大和に散りし ますらをの
想ひ語らむ 櫻の季に 髙岡功太郎
- 死して後 君が遺せし日の本の
櫻心で吾等 國を護らむ 坂井克二
- 咲き誇り 櫻花の如く 散り征けど
殘せし勲功 なほ麗しき 大西隆之
令和5年(2023年)7月8日、大阪護國神社『安倍晋三元総理追悼一年祭』にて神前に奏上[109][110]。
- 散る姿 龜鑑と成さむ 吾もまた
皇國の 男子たるなら 髙岡功太郎[109][111]
- 動かざる 心刻みし石碑に
拝み祈る 明日の御國を 大坪宏通
- 一年の 時めぐれども 我が胸に
散る烈士の 心忘れじ 片岡 正[112]
出版物
補註
参考文献
関連項目
外部リンク
板垣会会長 |
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板垣伯銅像記念碑 建設同志会 |
- ∴①安藝喜代香(1920.6.9 - 1921.12.10)
- ②阿部亀彦(1922.1.14 - 1922.10.16)
- ③松尾富功禄(1922.10.16 - 1925.4.17)
- (→財団法人板垣伯銅像記念碑建設同志会へ移行)
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財団法人板垣伯銅像 記念碑建設同志会 |
- 松尾富功禄(1925.4.17 - 1925.12)
- ④西本直太郎(1925.12 - 1927.9)
- ⑤川島正件(1927.9 - 1933.1)
- ⑥村上清(1933.1 - 1935.12)
- ⑦川淵洽馬(1936.1 - 1941.7)
- ⑧大野勇(1941.7 - 1943.2.25)
- (→財団法人板垣伯銅像保存会に名称変更)
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財団法人 板垣伯銅像保存会 |
- 大野勇(1943.2.25 - 1945.5.10)
- (→板垣会と合併し財団法人板垣会に名称変更)
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財団法人板垣会
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- 大野勇(1945.5.10 - 1946.7.16)
- ⑨池田永馬(1946.7.16 - 1947.12.2)
- ⑩板垣守正(1947.12.11 - 1951.7.16)
- ⑪池田永馬(1951.7.16 - 1954.4.11)
- ⑫野村茂久馬(1954.5.1 - 1960.2.11)
- ⑬寺尾豊(1960 - 1972.11.27)
- (代表空席につき 山﨑和孝理事・評議員で運営)(1972.11.27 - 1981.8)
- ⑭大西正男(1981.8 - 1987.9.18)
- ⑮吉村眞一(1987.10 - 1996?)
- ⑯古谷俊夫(1996? - 2013.7.8)
- (→NPO法人板垣会へ移行)
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NPO法人板垣会
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- 古谷俊夫(2013.7.8 - 2022.7.16)
- ⑰中地英彰(2022.7.16 - 現職)
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板垣会館建設準備会 |
- ∴(設立発起人)①谷信讃(1933.7.16 - 1934)
- ②片山徳治(1934 - 1935.1.19)
- (→板垣会館建設後援会へ移行)
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板垣会館建設後援会
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- ③池田永馬(1935.1.19 - 1937.8.1)
- (→建設後 板垣会 と改称)
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板垣会
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- 池田永馬(1937.8.1 - 1945.5.10)
- (→財団法人板垣伯銅像保存会と合併し 財団法人板垣会 と改称)
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一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 (佐藤栄作・寺尾豊が設立) (2017.1.12社団法人化) |
- ∴(名誉総裁)佐藤栄作
- ①寺尾豊(1968.4.6 - 1972.11.21)
- ②丁野暁春(1972.11.22 - 1973)
- ③土居音三郎(1973 - 1980)
- ④板垣晶子(1980 - 1993.11.2)
- ⑤乾一郎(1993.11.3 - 2000.9.19)
- ⑥髙岡眞理子(2000.9.20 - 2010.7.16)
- ⑦髙岡功太郎(2010.7.16 - 2019.3.2)
- ⑧草刈健太郎(2019.3.2 - 2020.4.6)
- ⑨髙岡功太郎(2020.4.6 - 現職)
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