板倉 勝長(いたくら かつなが)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。陸奥国福島藩8代藩主。官位は従五位下・内膳正。重昌流板倉家第11代。
板倉勝矩の次男。父・勝矩が重昌流板倉家に養子入りする以前、安中藩時代に誕生した。幼名は伊三郎。
安永4年(1775年)1月25日、父の死により家督を相続した。安永9年(1780年)11月18日、10代将軍・徳川家治に拝謁した。同年12月18日、従五位下・内膳正に叙任する。領内飢饉や大坂加番中の大坂城火事により、藩財政が窮乏する。相馬中村藩から野中半宇衛門を招いて財政再建に尽力した。
文化12年(1815年)に死去し、跡を長男の勝俊が継いだ。
父母
正室、継室
子女