松本 誠之(まつもと せいし、文久3年9月17日[1](1863年10月29日) – 昭和18年(1943年)3月25日[2])は、日本の衆議院議員(新政会)。ジャーナリスト。
摂津国川辺郡小田村(現在の兵庫県尼崎市)出身[3]。経済学、歴史学、政治学を学んだ[3]。小学校校長、『大阪朝日新聞』記者、『神戸又新日報』記者、『京華日報』記者を務めた[3]。また雑誌『東京正論』を発刊し、幸徳秋水らの社会主義を批判した[3]。さらに雑誌『金甌』を発行した[3]。
1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
その後、ハルビンに渡り、『哈爾賓新聞』を発刊した[2]。