松本 明重(まつもと あきしげ、1914年6月25日 - 1990年2月22日[1])は、日本の右翼活動家、宗教家。右翼団体・日本民主同志会中央執行委員長、日本郷友連盟本部理事、世界救世教外事対策委員長、平安教団初代教主を務めた。
愛媛県上浮穴郡面河村(現・久万高原町)生まれ[1]。ロッキード事件での国会質疑で明らかになった内容としては「広島の鉄道学校の高等科を卒業した後、旧南満州鉄道に勤務し、その後現在の中国、かつての支那といわれていた、そこに所在をした興亜院の、この総裁官房、ここに勤務し、引き続いて戦争中、中支派遣軍の特務機関要員となって上海、中支方面で特務機関の業務に従事」していたと言う[2]。1955年紺綬褒章を受章[1]。
1971年1月15日、京都市で右翼団体・日本民主同志会を結成[3]、主宰し、雑誌『志道』の発行や戦没者慰霊碑の建立などに携わった。反共主義の立場で著作や事業をおこない、多くの政治家や警察との人脈・交際が指摘されている[4]。
1970年代、世界救世教外事対策委員長として教団運営の中央集権化を主導。墓地開発で救世教と別に宗教法人(平安教団)を創設したことから分派活動との指弾を受け、1980年、救世教内の全役職から辞任(平安教団事件)。
小説家・脚本家の池宮彰一郎は、1979年、本名池上金男の名義で、松本の伝記小説『限りなき一つの道』(祥伝社)を著した。岩川隆『日本の地下人脈―戦後をつくった陰の男たち』(祥伝社、2007年)の「第三章 満州人脈と岸信介」で、松本について言及されている。
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