松平 勝升(まつだいら かつゆき[3])は、江戸時代中期から後期にかけての大名。下総国多古藩5代藩主。官位は従五位下・中務少輔、大蔵少輔。
略歴
安永7年(1778年)5月10日[3]、4代藩主・松平勝全の次男として誕生。兄・勝従が早世したため、安永8年(1779年)4月25日に世子となる[1]。寛政3年(1791年)12月1日、14歳の時に将軍徳川家斉に御目見[1]。
寛政6年(1794年)10月6日、父が病気を理由に隠居したため家督を継いだ[1]。12月16日に従五位下・中務少輔に叙位・任官する[1]。寛政7年(1795年)2月、初めて封地多古へ赴く半年の暇を得る[2]。しばしば江戸城各門の番役を勤めた[2]。
文政元年(1818年)8月19日[3]に死去した[注釈 2]。享年41[3]。跡を養子・勝権が継いだ。
系譜
脚注
注釈
出典
参考文献
外部リンク
久松松平氏 多古藩5代藩主(1794年 - 1818年) |
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保科家 | |
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土方家 | |
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久松松平家 | |
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