松平 光領(まつだいら みつおさ)は、江戸時代後期の信濃国松本藩の世嗣。通称は広五郎、広助、広之助。官名は従五位下・主膳正。
第7代藩主・松平光年の四男として誕生した。初名は光直。正室は蜂須賀治昭の娘・光姫。
文政6年(1823年)8月24日、光年の養嗣子である松平光庸の順養子となる。光庸は第6代藩主・松平光行の子で光年の甥、光領の従兄にあたる。文政10年(1827年)11月15日、第11代将軍・徳川家斉に拝謁する。天保8年(1837年)に光年が死去し、光庸が家督を相続すると、同年12月16日(1838年)、光領は従五位下・主膳正に叙任する。しかし、自身は家督を相続することなく、天保12年(1841年)に死去した。代わって、光庸の三男の光則が嫡子となった。
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