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この項目では、かつて東予地方に存在し西条市等と合併した市について説明しています。愛媛県東部を指す広域地名については「東予地方」をご覧ください。 |
東予市(とうよし)は、かつて愛媛県の東予地方にあった市。瀬戸内海に面し、東予港を擁する。平成の大合併で旧・西条市、周桑郡丹原町、小松町と新設合併し、2004年(平成16年)11月1日に消滅した。
市名の由来
市町村合併による新市名を検討する中で、合併当時は「東予新産業都市」(新産都)の開発が進んでいた時期であり、用地に恵まれた東予市には工場が多数立地し、人口も増えて将来的には東予地方の中でも中核的地域になるのではないかとの期待もあり、そうした夢も込めて「東予市」としたとされている。元の地名の壬生川町(にゅうがわちょう)が難読地名であったことも一因といえる。
「東予」は本来、「伊予の東」という意味で東予市を含む愛媛県の東部一帯を表す広域地名である。具体的な市町村としては、東は川之江市(合併し四国中央市)から西は周桑郡丹原町(同じく西条市)や越智郡菊間町(同じく今治市)までの広い地域を指す。
西条市への合併により自治体としての「東予市」は消滅したが港名は「東予港」カーフェリーも発着しており、合併後も「東予」という地名は残っている。なお、「東予」という鉄道駅はなく、特急停車駅は壬生川駅である。
歴史
これ以前の歴史は壬生川町、三芳町(みよしちょう)の記事を参照。また2町の成立以前の旧村の記事も参照。
行政
歴代市長
- 初代:河上辰男(昭和47年10月 - 5期)
- 第2代:青野照雄(平成3年2月 - 1期)
- 第3代:青野勝(平成7年2月 - 合併まで、3期)
平成の市町村合併の経緯
今治市と西条市に挟まれた東予市としては、周桑郡の2町(丹原町、小松町)とともに1市2町での合併という選択肢もありえたが、小松町が早々と西条市とともに合併する方針を明らかにし、丹原町も同調する動きを見せたため、東予市もより大きな市となって行政力を高め、四国中央市、新居浜市、今治市に伍していくという観点からこれに合流した。
新居浜市も含めた「大東予」的な市町村合併構想については、新居浜市や西条市が積極的に推進する姿勢を見せなかったため、将来の課題として扱うこととなった。
合併協議の過程では、新市庁舎が西条市庁舎に決定し、新市名も「西条市」となるなど、旧西条市のペースで事態が進展することに対し、心情的に反発したり「東予市」「東予」の地名が消えることを惜しむ声もあった。
経済
製造業
1934年に明正レーヨン株式会社壬生川工場(現:フジボウ愛媛)が誘致され、1954年には約1,200人の従業員を抱えるなど大きな産業となっていた。1964年の東予新産業都市指定と共に県営工業団地造成事業が進められた。県営工業団地の3号地(今在家)には1973年に住友重機械工業・住友イートンノバ(現:住友重機械イオンテクノロジー)、4号地(北条)には1975年に住友アルミニウム製錬、住友共同電力が進出した[1]。最盛期の1981年頃には住友重機械約600名、住友アルミニウム製錬約430名、住友共同電力約100名の従業員が従事していた[1]。しかし、石油危機や円高による構造不況などで1984年には住友アルミニウム製錬が撤退し、他の住友グループの企業、フジボウ壬生川工場も大幅に減員された。
その後、住友アルミニウム製錬の工場跡地(4号地の一部)は「東予インダストリーアルパーク」として分譲されている。現在では日本製鉄や浅川造船、田窪工業所などが進出している。日本製鉄瀬戸内製鉄所阪神地区(東予)は2000年に日新製鋼東予製造所として竣工し、普通鋼冷延鋼板の製造基地で高耐食溶融亜鉛・アルミ・マグネシウム合金めっき鋼板の主力生産拠点となっている[2]。
- 主な工場・事業所
商業
- スーパーマーケット
- 家電量販店
金融業
地域
教育
交通
鉄道路線
道路
有料道路
国道
県道
- 主要地方道
- 一般県道
- 愛媛県道143号壬生川港小松線
- 愛媛県道144号南川壬生川停車場線
- 愛媛県道148号東予港三津屋線
- 愛媛県道150号徳能伊予三芳停車場線
- 愛媛県道154号東予玉川線
- 愛媛県道159号孫兵衛作壬生川線
出身有名人
脚注
関連項目