杉 隆宣(すぎ たかのぶ)は、日本の戦国時代の武将。通称は二郎左衛門。大内氏配下。父は杉興相。子に杉元相。周防国の名族杉氏の一門(次郎左衛門家)であるが、その正確な系譜は不明[1]。
生涯
杉興相の子として生まれる[1]。大内義隆の偏諱によって隆宣と名乗り、周防国佐波郡の大前と植松を領した[1]。
天文8年(1539年)、大内義隆の命により安芸へ出陣し、小早川興景の軍監として尼子晴久と戦ったが、天文12年5月7日(1543年6月9日)に出雲で討死[1]。子の隆相(元相)が跡を継いだ。
脚注
参考文献