杉本 鉞子(すぎもと えつこ、1873年(明治6年)- 1950年(昭和25年)6月20日)は、日本の作家。大正末期に出版した英語による著書『A Daughter of the Samurai(武士の娘)』により、アメリカでの日本人初のベストセラー作家となる[1]。コロンビア大学の初の日本人講師でもある。
10回にわたって連載された『武士の娘』は、日本という見知らぬ国の文化を知る異国趣味の読み物として、また、"キリスト教を知らないアジアの未開の国の可哀想な(と西洋人が考える)娘がキリスト教と西洋文化によって覚醒していく"というアメリカ人好みのストーリーが受け、連載終了後の1925年(大正14年)にダブルデー・ドーラン社から出版されて人気を博し[4]、ドイツ語、フランス語など7か国語に翻訳された[2]。日本でも1940年代に出版されたが、日本に帰国したときの話を書いた「In Japan Again」の章は翻訳されなかった[5]。
1927年(昭和2年)に帰国後も、Etsu Inagaki Sugimotoの名で、『A Daughter of the Narikin(成金の娘)』、『A Daughter of the Nohfu (農夫の娘)』、『Grandmother OKyo (お鏡お祖母さま)』などの英語本をアメリカ向けに出版。一方、アメリカの紹介者として日本語での執筆活動も続け、1940年には羽仁もと子の依頼で『婦人之友』に「『武士の娘』が見たアメリカ」を連載[3]。1950年(昭和25年)、肝臓がんのため76歳で没。
1959年には、福沢諭吉の孫の一人と結婚した次女の清岡千代野による伝記『But the Ships Are Sailing』がアメリカで出版された。1995年には新潟テレビ21で『杉本鉞子の生涯』が制作された[3]。2015年に NHKがドキュメンタリー「武士の娘 鉞子とフローレンス ~奇跡のベストセラーを生んだ日米の絆~」として放映[6]。