朝鮮総督府逓信局(ちょうせんそうとくふていしんきょく)は、朝鮮総督府に置かれた外局(朝鮮総督府所属官署)。
朝鮮における郵便・郵便為替・郵便貯金・簡易保険・船員保険・電信・電話・航路標識・海員養成・発電水力・航空に関する事務を管理し、航路・船舶・海員・電気事業・ガス事業の監督を掌った。
沿革
1905年(明治38年)12月21日、統監府通信官署官制(勅令第268号)が公布され、統監府のもとに通信管理局が設置された。
1910年(明治43年)10月1日、韓国併合にともない朝鮮総督府が設置されると、所属官署として通信局が置かれた。1912年(明治45年)4月1日、朝鮮総督府逓信官署官制(勅令第30号)施行にともない、通信局は逓信局に改称した。
1943年(昭和18年)12月1日、朝鮮総督府の官制機構改正に伴い、庶務・監理・保険管理・保険運用の各課を廃止の上で総務・通信・貯金保険の3課に再編し、保険契約・保険支払・保険徴収3課の業務は新設される保険管理所に移管された。
さらに経理課を廃止の上で会計課を新設し、海事・航空の2課は交通局に移管された。
機構
1941年(昭和16年)9月1日現在。
- 逓信局
- 庶務課
- 監理課
- 保険監理課
- 保険運用課
- 保険契約課
- 保険支払課
- 保険徴収課
- 経理課
- 工務課
- 電気課
- 海事課
- 航空課
- 逓信吏員養成所
- 高等海員養成所
- 電気技術員養成所
歴代局長
氏名
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在任期間
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備考
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(統監府)通信管理局長
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池田十三郎
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1906年(明治39年)1月10日[1] - 1910年(明治43年)10月1日
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(朝鮮総督府)通信局長官
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池田十三郎
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1910年(明治43年)10月1日 - 1912年(明治45年)4月1日
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(朝鮮総督府)逓信局長官
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池田十三郎
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1912年(明治45年)4月1日 - 1917年(大正6年)6月6日
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持地六三郎
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1917年(大正6年)6月6日 - 1919年(大正8年)8月20日
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(朝鮮総督府)逓信局長
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持地六三郎
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1919年(大正8年)8月20日 - 1920年(大正9年)6月1日
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竹内友治郎
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1920年(大正9年)6月1日 - 1922年(大正11年)11月27日
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蒲原久四郎
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1922年(大正11年)11月27日 - 1928年(昭和3年)1月31日
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山本犀蔵
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1928年(昭和3年)1月31日 - 1933年(昭和8年)12月5日
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井上清
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1933年(昭和8年)12月5日 - 1936年(昭和11年)7月11日
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山田忠次
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1936年(昭和11年)7月11日 - 1941年(昭和16年)5月31日
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新貝肇
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1941年(昭和16年)5月31日 - 1942年(昭和17年)10月23日
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石田千太郎
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1942年(昭和17年)10月23日 - 1943年(昭和18年)7月17日
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白石光治郎
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1943年(昭和18年)7月17日 - 1944年(昭和19年)8月17日
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伊藤泰吉
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1944年(昭和19年)8月17日 - 1944年(昭和19年)11月8日
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加藤雄一
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1944年(昭和19年)11月8日 -
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日本統治下最後の局長
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脚注
参考文献
- 朝鮮総督府編『施政三十年史』(朝鮮総督府、1940年)
- 朝鮮総督府編『朝鮮事情 昭和十七年度版』(朝鮮総督府、1941年)
- 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』(東京大学出版会、1981年)
関連項目