早川 二郎(はやかわ じろう、1906年2月22日[1] - 1937年11月8日[1])は、日本の歴史学者。本名は「小出 民声」(こいで みんせい)。
東京府西多摩郡吉野村(現・東京都青梅市)生まれ[2]。1929年3月、東京外国語学校ロシア語科を卒業[3]。プロレタリア科学研究所、唯物論研究会に入り、ソ連事情、ソ連史学の翻訳・紹介をおこなった。のちに日本古代史に関心を広げて研究を進めた。1937年11月8日、奥秩父を登山中、将監小屋で遭難死した[4][2]。