日比野 正治(ひびの まさはる、1885年(明治18年)2月2日 - 1947年(昭和22年)3月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
経歴
愛知一中を経て、鳥羽商船学校本科修了後、1906年11月海軍兵学校(34期)を卒業し、1907年に少尉任官。1912年海軍砲術学校高等科を卒業後、第3艦隊副官、「鞍馬」分隊長を歴任。1917年、海軍大学校(甲種)を卒業。以後、「春日」乗組、軍令部第3班第5課参謀、アメリカ大使館付武官補佐官、「鬼怒」副長などを歴任。
1927年、「大井」艦長となり、さらに「浅間」艦長、海軍大学校教官、「日向」艦長を歴任し、1932年海軍少将に進級。以後、第1戦隊司令官、第11戦隊司令官を務め、1936年に海軍中将・駐満海軍部司令官を拝命。その後、海軍大学校校長、第四艦隊司令長官、呉鎮守府長官、軍事参議官を歴任し、1942年に予備役に編入された。
1947年(昭和22年)3月7日死去。死去後の同年11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
脚注
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」12頁。
参考文献
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。