新田 庚一(にった こういち、1920年10月16日 - 1983年10月2日)は、日本の経企官僚。元経済企画事務次官。地域振興整備公団副総裁在任中死去。
山形県出身[1]。1943年に高等試験行政科試験に合格し[2]、同年東京商科大学(現在の一橋大学)学部を卒業し、商工省に入省した[1]。物価局に配属[3]。通商産業省企業局企業第一課長等を経て、中小企業庁次長、経済企画庁調整局長、経済企画事務次官を歴任[4][1]。
1974年(昭和49年)通商産業省からの提案を受け電気料金の値上げの審査にあたった[5]。また春闘について、賃上げ率が下がれば実質成長率が高くなるとの調査報告を、田中角栄内閣総理大臣に行った[6]。1975年(昭和50年)経済企画庁顧問[7]。
1976年(昭和51年)地域振興整備公団(のちの独立行政法人都市再生機構、独立行政法人中小企業基盤整備機構)副総裁に就任[8]。副総裁在任中の1983年(昭和58年)に東京都世田谷区上北沢の自宅で死去。享年62[9]。従三位勲二等瑞宝章[10][11]。