文化地理学を地理学の一部門として体系化したのはカール・O・サウアーとその同僚、いわゆる「バークレー学派(英: Berkeley School)」である[2]。彼らは文化を「超有機体[注 1]」的な存在であると位置づけ、人間の考えや行動を規定する鋳型として機能すると考えた[5]。サウアーは1925年に「景観の形態学(英: The Morphology of Landscape)」を発表し、特定の文化をもつ集団が、文化を営力として自然景観に作用することで文化景観が形作られると論じた[5][6]。彼の理論は、20世紀初頭の地理学において優勢であった、自然環境が地域性を決定すると考える、環境決定論への反論でもあった[2][6]。
バークレー学派の文化地理学を学問分野として明瞭に表した書籍として、1962年サウアーの門下生であるフィリップ・ワグナー(Philip Wagner)とマーヴィン・マイクセル(Marvin Mikesell)が編纂した『文化地理学リーディングス(英: Readings in Cultural Geography)』がある。ワグナーらは同著において文化地理学のテーマを「①文化」「②文化地域」「③文化景観」「④文化史」「⑤文化生態学」の5つに整理した。中俣均はこの5つのテーマは相互に関連したものであるとして、バークレー学派の地理学を
伝統的文化地理学に対するもうひとつの批判は、その文化概念に対するものである[2]。同学派の文化概念はクローバーの文化超有機体説に依拠していたが、これに対する重要な批判としてジェームズ・ダンカン(James Duncan)によるものがある[2][11]。ダンカンは1980年に「アメリカ文化地理学における超有機的存在(英: The super organic in American cultural geography)」を発表する。彼は、文化超有機体説に依拠する従来の文化地理学において、実際には個々の人間によって営まれる様々な地表面の出来事が、文化という自律的な「物」があたかも支配的に作り上げられているかのように描写されることを指摘し、これを「文化の物象化」と称した[12]。また、超有機体説からは文化の物質的な特性を分布図として表す静態的な地理学しか導くことができず、個人による営みをダイナミックに捉えることはできないと論じた[2]。ダンカンは文化超有機体説を廃し、人間同士の相互作用や社会的文脈がそのつど形づくるものとして、景観の再定義を試みた[12]。
文化超有機体説に対する批判がつのるなか、1980年代後半にはイギリスを中心に文化論的転回(英語版)と呼ばれる運動が展開される[2]。1987年、デニス・コスグローヴ(英語版)とピーター・ジャクソン(英語版)はユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで開かれる英国地理学会の社会地理学研究グループ会議のため「文化地理学における新しい方向(英: New directions in cultural geography)」と銘するレビューを発表した[14]。彼らは文化本質主義的で、主に農村の静態的な空間現象を対象にしたバークレー学派を批判し、「歴史的なものと同時に現代的、空間的なものと同時に社会的なもの、農村的なものと同時に都市的なもの」を対象に捉える「新しい方向」の文化地理学を提唱した[15][14]。
「新しい文化地理学」の言語的なもの、表象的なものを偏重する性質は反発を生み、1990年代後半から2000年代初頭ごろより物質的なものや視覚的なイメージに注目する新たな展望が生まれ始める。これを物質論的転回(英: Material turn)と呼ぶ[14]。ジャクソンは、2000年の「社会・文化地理学を再物質化する(英: Rematerializing social and cultural geography)」において、現代社会におけるローカルなものとグローバルなものが複雑に絡み合ったネットワークが、空間や場所を作り上げる歴史的過程を取り上げた。物質的な要素に注目するという側面において、ジャクソンの論文はバークレー学派の文化地理学と一致している。しかし、後者があくまで物質を人間によって作られ、使われる受動的な存在として扱うのに対して、前者における物質は、人間の諸関係を作り出す能動的な存在である[24]。
2000年代に顕著になった物質論的転回の傾向は、「新しい唯物論(英: New materialism)」と呼ばれる研究群として形をなした[25]。このアプローチはアクターネットワーク理論、アジャンスマン(英語版)の概念、ポスト人間主義(英語版)などに基づく研究と関連している。「新しい唯物論」の研究群は、マルクス主義、ポスト構造主義、フェミニズム、ポストコロニアル理論など様々な分野の研究成果の影響を受けており、単一の存在論、認識論、方法論を共有するものではないものの、社会生活の構築において物質が果たすパフォーマティブな役割への関心と、物質の生き生きとした性質および行為能力の評価の評価について関心を持っているという点で共通している[26]。
脚注
注釈
^「文化超有機体説」はサウアーの同僚であるアルフレッド・L・クローバーが提唱した。クローバーは1917年に「超有機的存在 (英: The super organic)」と銘する論文を発表し、文化が進化するプロセスは一般の生命が経験する「有機」的なものとは異なり、学習により世代や民族を越えて獲得形質が継承される「超有機」的なものと論じた。彼は、文明や文化が生身の有機的存在の上位にある「超有機体」であると定義した[4]。