戸田 保忠(とだ やすただ、1887年(明治20年)9月10日 – 1938年(昭和13年)12月18日[2])は、農商務官僚、農林官僚。
経歴
茨城県出身。第一高等学校を経て、1912年(明治45年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した。島根県属試補、島根県理事官、農務局事務官・臨時米穀管理局事務官、農商務書記官・参事官、同副業課長、農務課長、大臣官房会計課長、畜産局長、水産局長、農務局長を歴任した。1937年(昭和12年)、農林次官に就任した。
退官後は日本勧業銀行参与理事[4]、漁業組合連合会会長[5]を務めた。
脚注
- ^ 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年、159頁。
- ^ 『昭和十五年度版 日本人名選』、大阪毎日新聞社、1939年。
- ^ 『昭和十五年 朝日年鑑』、朝日新聞社、1939年。
参考文献
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。
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前身諸学校・大学長 |
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大日本水産会水産伝習所長 | |
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水産講習所長 | |
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第一水産講習所長 | |
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東京水産大学長 | |
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