成帝(せいてい)は、東晋の第3代皇帝。諱は衍、字は世根。
大興4年(321年)、皇太子司馬紹(後の明帝)と庾文君の間の長男として生まれた。太寧3年(325年)3月戊辰、皇太子に立てられた。同年閏8月に明帝が崩ずると、皇帝として即位。生母の庾文君が臨朝称制し、司徒の王導と中書令の庾亮が輔政した[2]。
咸和2年(327年)、蘇峻の乱が起き、翌年に建康が陥落すると成帝らは一時捕らえられて身柄を石頭城に移されたが、郗鑒・陶侃らにより乱が鎮圧されて建康に戻った。北方に対しても何度も出兵したが、後趙の石虎の軍に阻まれて勢力の拡大は果たせなかった。また、豪族らの山川の私有化に対抗するため、咸康2年(336年)にこれを禁じた。咸康7年(341年)には初めて土断を施行したことにより、東晋建国時に北から移ってきた貴族たちを戸籍に編入した[2]。
咸康8年(342年)6月、西堂で崩じた。享年は22歳。弟の司馬岳が即位した[2]。
元帝317-322 / 明帝322-325 / 成帝325-342 / 康帝342-344 / 穆帝344-361 / 哀帝361-365 / 廃帝365-372 / 簡文帝372 / 孝武帝372-396 / 安帝396-419 / 恭帝419-420