愛知 敬一(あいち けいいち、1880年〈明治13年〉7月25日 - 1923年〈大正12年〉6月23日)は、日本の物理学者。
東北帝国大学理科大学物理学科教授を務めた。
生涯
1880年(明治13年)東京府生まれ。
東京帝国大学卒業。東京帝大講師、京都帝大助教授。ヨーロッパへの留学を経て、1911年(明治44年)に東北帝国大学理科大学(理学部)の教授に就任した。1912年には、総長推薦によって同大学から博士号(物理学)を授与された。
1922年(大正11年)のアルベルト・アインシュタイン訪日時には、神戸港に出迎え、仙台市公会堂で行われた講演会でも通訳を務めた。
1923年(大正12年)、食中毒(フグ毒による[1])により急死、42歳。
栄典
- 位階
- 勲章等
家族
父・信元は、幕末には小姓として徳川慶喜に仕え、明治維新以降には学習院や華族女学校(現学習院女子高等科)で数学を教えていた人物であった。息子の愛知揆一は政治家となり、外務大臣、大蔵大臣などを歴任した。同じく政治家の愛知和男は揆一の娘婿、愛知治郎は曾孫である。
著書
1922年、東北帝大にて。左から、本多光太郎、アインシュタイン、愛知、日下部四郎太
共著
共訳
脚注・出典
- ^ 中島信吾『巨星墜つ:百年の逸材:仙台二高』 息子・愛知揆一の死去前後の様子や生涯を綴った文章である。
- ^ a b 『官報』第3271号「叙任及辞令」1923年6月26日。
- ^ 『官報』第3272号「叙任及辞令」1923年6月27日。
外部リンク