愛宕信仰(あたごしんこう)とは、京都市の愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社から発祥した、火防の神に対する神道の信仰である。日本全国で「愛宕」を社名につける神社は43都道府県に約1000社ある[1]。特に東北地方に多く分布する。祭神は多くの場合、カグツチノミコトやイザナミノミコトである[1]。
歴史
愛宕山の愛宕神社は、古くから修験道の道場となり[1]、中世に入ると愛宕神社が建立され[1]、そこから修験者が全国に展開して愛宕信仰を広めたとされる[1]。
戦国時代は勝軍地蔵を本地仏としたことから、戦に勝つための軍神として信仰された[2]。武士が勝利の神として愛宕神社を信仰し、やがて勝利の神が転じて火防の神様となり、これを各藩の武士が参勤交代の際に地元に持ち帰り、各地に愛宕神社を祀るようになったとする説もある[1]。例えば、京都の愛宕山は、江戸時代に入ってから、軍神信仰から火伏信仰に転化したものである[2]。
勝軍地蔵だけでなく、軻遇突智(火産霊尊とも)も共に祀った。現在でも、愛宕の縁日は地蔵と同じ毎月24日である。民間では、各地に「愛宕講」と呼ばれる講が組織された。「千日詣」と称し、8月1日に参拝すると千日参拝したのと同じ御利益があるとされる。[要出典]
直江兼続が兜の前立に「愛」をまとっていた理由の説の1つとして、愛宕信仰説がある[3]。
主な愛宕神社
- 総本社
- 北海道・東北地方
- 近畿地方
- 九州・沖縄地方
その他「愛宕神社 (曖昧さ回避)」を参照のこと。
脚注
関連項目