律令要約(りつりょうようやく)は江戸時代の「公事方御定書」編纂課程で、その制定直前の1741年(寛保元年)に幕臣北条氏長が各種法令の先例・慣習を総約した書物。
1741年(寛保元年) 幕臣北条氏長、将軍徳川吉宗の命で律令要約の編集を実施。
1742年(寛保二年) 律令要約に基づいて、奉行所の刑罰基準などを記した公事方御定書制定。
1742年(寛保2年)の「公事方御定書」制定以前の江戸幕府法や律令の先例・慣習をまとめた、というところにこの事業の大きな意味がある[1]。律令要約の編纂によって徳川吉宗の公事方御定書が、より確立した法になったことで、その影響を及ぼしている。詳細は石井良助編『近世法制史料叢書』第二に収録されている[2]。
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