弓削 達(ゆげ とおる、1924年3月31日 - 2006年10月14日)は、日本の歴史学者。専攻は古代ローマ史。東京大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授。経済学博士。元日本学術会議会員。キリスト教徒[1]。
フリーライターの弓削康史は長男で、その妻は元国連開発計画駐日代表兼総裁特別顧問の弓削昭子[2][3]。
東京府出身。旧制麻布中学校を経て、1941年(旧制)東京商科大学(現:一橋大学)予科入学[4]、1947年東京商科大学卒業。指導教授は上原専禄[5]。1966年、一橋大学経済学博士[6]。
大学在学中、学生自治会の委員長を務め、韮沢忠雄(のちに日本共産党赤旗編集局長)、岡稔(のちに一橋大学教授)、佐藤定幸(のちに一橋大学名誉教授)、荒川弘(のちに産経新聞論説委員)ら、日本共産党シンパが参加していた民主主義科学研究会(民研)が自治会を牛耳っているとして批判し、中道左派的自治を呼びかけた。そのような中、民研は解散し社会科学研究会へと改組された[7]。
青山学院大学講師、神戸大学講師を経て、1958年神戸大学文学部助教授、1966年東京教育大学文学部助教授、1974年東京大学教養学部教授、1984年定年退官、名誉教授、神奈川大学短期大学部教授。1986年から一年間、東洋英和女学院短期大学で講師。1988年から1996年までフェリス女学院大学学長。
2006年、肺炎のため82歳で死去。指導学生に本村凌二(東京大学名誉教授)など[8][9]。
以上全て『平和のための戦争展かながわ―昔も今も基地神奈川主催1998年8月15日講演会本土防空戦に参加した台湾少年工』にて[11]。