平野八幡神社(ひらのはちまんじんじゃ)は、兵庫県神戸市西区に鎮座する。
主祭神
譽田別尊(応神天皇)
配祀神
当社は、白雉4年(653)9月15五日、豊前国宇佐八幡宮より勧請創建され、嘉祥元年(848)に社殿を再建した記録が残っている。以来幾度か修復再建が繰り返されたが、現在の社殿は、明治29年(1954)に瓦葺で再建されるも老朽化甚しく、昭和60年(1985)より修復し、銅板葺とした。
慶安元年(1648)、徳川将軍より御朱印・高九石を下され、その後、明石藩主松平兵部大輔以来万延元年(1860)まで、二百十数年御朱印領として栄え、古来より社名を五社宮・平野八幡・慶明八幡といった。
拝殿前の能舞台は、江戸中期の元禄時代以降、一般庶民が歌舞伎や能舞を明治末期まで演じていたという。
天正6年(1578)、織田信長の家臣羽柴秀吉が、三木城を攻める為、神出との境の矢の坂に陣取った時、当社の北方台地にある三木別所方の福中城より、秀吉軍に矢を放ったため、城を知らなかった秀吉軍に所在がわかり落城した、との話が残っているが、その時の矢が神社に奉納されている。
この項目は、神道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 神道/ウィキプロジェクト 神道)。