常安寺(じょうあんじ)は、三重県鳥羽市にある、曹洞宗永平寺派の仏教寺院。山号は玉龍山。
鳥羽藩初期の藩主・九鬼家の菩提寺である。鳥羽志摩には曹洞宗の寺院が多いが、九鬼守隆がこの寺の伽藍を整備したことと、鳥羽藩後期の藩主・稲垣家が曹洞宗の金胎寺を菩提寺としたことが影響している[1]。
概要
鳥羽三山[注 1]の1つ樋ノ山の北麓に位置する。水軍を率いた九鬼嘉隆の子である九鬼守隆が父・嘉隆を開基に立て、父の帰依が深かった玉龍山大福寺を一大伽藍とした寺院である[2]。
本尊は釈迦如来坐像(像高94cm)[3]。曹洞宗66寺の僧禄寺、志摩国の仏教諸宗の触頭であった[4]。
境内外
本堂を中心に、薬師堂・准提堂・庚申堂・十王堂・地蔵堂などの堂と山門、鐘楼がある[3]。九鬼家の墓所は、山門から本堂の方向を見た時、左手にある山裾を進むとある[5]。境外には、鎮守として豊川吒枳尼尊天堂がある[3]。屋根瓦などには九鬼家の家紋である九曜星が入っている[6]。
歴史
創建年代は不詳である[7]が、本尊の釈迦如来坐像は室町時代の作である[3]。常安寺を名乗る前は玉龍山大福寺と称し、真言宗の寺であった[8]。文禄の役(文禄元年 - 文禄2年〔1592年 - 1593年〕)の折に九鬼嘉隆の香花院となる[4]。九鬼嘉隆は曹洞宗への信仰が篤く、三河国宝飯郡(現在の愛知県豊川市)の豊川妙厳寺から天堂伊尭(てんどう いぎょう)禅師を招き、大福寺を
曹洞宗に改めた[8]。慶長5年(1600年)、豊川妙厳寺七世悳善達和尚の法嗣・貫室禅道和尚を大福寺に招聘(しょうへい)し、同寺の末寺となった[4]。同年、九鬼守隆は両親の菩提を弔うため、大福寺の改築を開始した[2]。当時の本堂は現在の薬師堂だったとされる[7]。
慶長12年2月(グレゴリオ暦:1607年2月~3月)に七堂を持つ伽藍が落成、入仏式に際して玉龍山大福寺を東照山常安寺に改めた[2][4]。九鬼守隆は寺領100石と境内外の灯籠の油料20石を寺に寄進した[4]。こうして九鬼氏から保護を受け大きくなった常安寺であったが、寛永9年(1632年)に守隆が逝去し、翌・寛永10年(1633年)に家督争いが原因で九鬼氏が国替えとなると、寺領と油料は失われた[4]。しかしその後も九鬼氏の崇信は続き、丹波国綾部藩に転封となった九鬼隆季は、遺言により常安寺で葬儀を執り行った[4]。また、摂津国三田藩に移封となった九鬼久隆
は以前から移封先にあった梅林寺を心月院に改名し、常安寺から覚雄是的和尚を招き、心月院を宗廟とした[9]。
万治から元禄(1658年 - 1703年)にかけての間に山号が東照山から玉龍山に自然に戻る[2]。文政9年(1812年)に本堂を改築[3]。嘉永7年11月4日(1854年12月23日)に発生した安政東海地震では、内陸にある常安寺まで津波が押し寄せたという記録がある[10]。慶応2年(1866年)には、稲垣氏3代の墓所が九鬼氏の廟所の隣に設けられた[3]。稲垣氏は歴代の墓を群馬県伊勢崎市にある天増寺に置いているが、幕末の激動期にあって同寺に移すことができず、鳥羽市にある菩提寺の金胎寺の境内が狭かったため、常安寺に墓を置くこと
となった[11]。
明治時代には西南戦争勃発を受け、鳥羽港に寄港した明治天皇が常安寺の奥書院に宿泊した[12]。1950年(昭和25年)4月23日から5月7日にかけて開催された「パールカーニバル 鳥羽みなとまつり」[注 2]では、昭和天皇の採集された標本の展示を常安寺で行った[13]。
文化財
寺宝として、九鬼嘉隆が自害した際に用いたとされる短刀がある[12]。以下の5点が鳥羽市の文化財に指定されている[14]。
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文化財名称 |
文化財種別 |
時代 |
解説
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1
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常安寺の涅槃図
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有形文化財(絵画)
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安土桃山時代
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文禄の役で九鬼嘉隆が李氏朝鮮から持ち帰ったものとされる。
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2
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常安寺薬師堂の鰐口
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有形文化財(工芸品)
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江戸時代
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九鬼守隆の寄進。伊勢・志摩両国の境界を示す史料の1つ。
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3
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常安寺境内の石燈籠
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九鬼守隆の寄進。灯籠の高さは2.8m、幅は1m。
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4
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稲垣氏歴代の墓碑及び霊廟
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史跡
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霊廟は鳥羽市の金胎寺にある。幕末の稲垣氏の墓所。
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5
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九鬼家の廟所
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散在する墓を供養墓として1ヶ所に集めたもの。
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交通
主な末寺
脚注
注釈
- ^ 鳥羽市鳥羽に位置する、樋ノ山・日和山・城山を指す。
- ^ 現在の鳥羽みなとまつりの第1回として行われた祭りである。
出典
参考文献
- 伊勢志摩国立公園指定50周年記念事業実行委員会 編『伊勢志摩国立公園50年史』伊勢志摩国立公園指定50周年記念事業実行委員会、平成9年3月24日、205pp.
- 磯部郷土史刊行会 編『磯部郷土史』磯部郷土史刊行会、昭和38年5月10日、506p.
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 24三重県』角川書店、昭和58年6月8日、1643p.
- 『'05-'06 伊勢 鳥羽 志摩 松阪』ツーリスト情報版255、近畿日本ツーリスト出版センター、2005年3月31日、167pp. ISBN 4-87638-755-9
- 鳥羽市史編さん室 編『鳥羽市史 上巻』鳥羽市役所、平成3年3月25日、1126pp.
- 鳥羽市史編さん室 編『鳥羽市史 下巻』鳥羽市役所、平成3年3月25日、1347pp.
- 羽鳥徳太郎(2005)"伊勢湾岸市街地における安政東海津波(1854)の浸水状況"歴史地震(歴史地震研究会).20:57-64.
関連項目
外部リンク