川端康成旧邸(かわばたやすなりきゅうてい)は、大阪府茨木市宿久庄(旧:三島郡豊川村宿久庄)にある、小説家川端康成の旧居跡。
川端康成とのかかわり
明治32年(1899年)、大阪市天満此花町で開業医の長男として生まれた川端康成は両親との死別により、明治35年(1902年)に父の実家のある茨木市に移り住んだ[1]。近くの菩提寺・極楽寺の本尊阿弥陀三尊像は川端家先祖の寄進と伝えられる。川端家は代々この東村の庄屋をつとめていたが、祖父が事業に失敗してからは、生活はわびしいものであったという。
川端はこの家から豊川小学校、茨木中学校(現・大阪府立茨木高等学校)へ通い、祖父が亡くなる大正3年(1914年)、16歳の5月までこの地で暮らしている。小学校の同窓生には笹川良一がいる。家は昭和41年(1966年)に鉄筋造りに改築されているが、蔵や広い庭園は昔の面影を留めているという。ノーベル文学賞を受賞したことにより、川端は茨木市名誉市民の第1号に推挙された。
川端康成は著書[要文献特定詳細情報]で、邸宅周辺のことを「私の育ったのは都会に遠い田舎」と記している。
所在地・アクセス
大阪府茨木市宿久庄1丁目11
出典
- 茨木市『史跡 ぶらりみてある記』(1988)[要ページ番号]
脚注
|
---|
掌編小説 |
掌の小説 (日向 - 滑り岩 - 二十年 - 有難う - 夏の靴 - 母 - 処女の祈り - 心中 - 竜宮の乙姫 - 霊柩車 - 神います - 帽子事件 - 屋上の金魚 - 朝の爪 - 女 - 恐しい愛 - 歴史 - 処女作の祟り - 故郷 - 笑はぬ男 - 日本人アンナ - 顕微鏡怪談 - 雨傘 - 化粧 - 死面 - 骨拾ひ - 卵 - 不死 - 白馬 - めづらしい人 - 髪は長く、ほか)
| |
---|
短編小説 | |
---|
中編小説 |
死体紹介人 -浅草の九官鳥 - 化粧と口笛 - 学校の花 - 浅草祭 - 旅への誘ひ - 故園 - 東海道 - 再婚者 - 少年 - 眠れる美女
|
---|
長編小説 | |
---|
詩 | |
---|
評論・随筆 |
南部氏の作風 - 新しき生活と新しき文芸 - 新感覚派の誕生 - 末期の眼 - 文学的自叙伝 - 英霊の遺文 - 哀愁 - 新文章読本 - 美しい日本の私―その序説 - 秋の野に - 美の存在と発見 - 夕日野
|
---|
関連項目 | |
---|
関連カテゴリ | |
---|