島田 琢郎(しまだ たくろう、1926年8月28日 - 2006年10月9日)は、日本の政治家(元日本社会党衆議院議員)。北海道出身。
1944年美幌農林学校(現・北海道美幌高等学校)林業科卒業。北海道湧別町議会議員を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧北海道5区から社会党公認で出馬し初当選。連続当選5回[1]。酪農業を営んだ経験から農政に明るく、党の農林政策委員長などを務めた。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選し、政界から引退。
2006年10月9日、急性心筋梗塞のため北海道遠軽町の病院で死去[1]。享年80。死後、従四位に叙された。
この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。