岸 俊男(きし としお、1920年9月15日 - 1987年1月21日)は、日本史学者、京都大学名誉教授、専門は日本古代史。
1920年、古社寺修理技師・岸熊吉の子として京都市上京区に生まれ、直後に父の仕事の都合で奈良市に移り、以後生涯の拠点であった。奈良県立奈良中学校・第三高等学校を経て、京都帝国大学文学部史学科に入るが、学徒動員によって満足に学業に打ち込めないまま、1944年9月に卒業。直後に再度召集を受けて海軍少尉となった。敗戦後に京都帝国大学大学院生として学業復帰を認められ、復学した。
1946年9月、京都帝国大学助手に採用された。1951年、奈良女子大学文学部講師となり、1953年に助教授昇格。1955年に母校・京都大学の教養部助教授となった。1958年、教養部から文学部(国史学科)に所属を異動。1967年、京都大学にて文学博士号を取得[1]。1969年、文学部教授に昇格。1984年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は奈良県立橿原考古学研究所所長を務めた。1987年、入院先の奈良県立医科大学附属病院にて閉塞性黄疸によって死去。
古代宮都、金石文、木簡などを調査し、藤原京の都市構造や稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣銘の研究で知られる。実証性を重んじた研究で多くの論文を発表、井上光貞と共に当時の歴史学界を代表した。
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