小針 晛宏(こはり あきひろ、1931年1月1日 - 1971年11月21日[1])は日本の数学者。
京都府生まれ。京都府立山城高等学校から京都大学理学部を卒業。在学中は広中平祐らと共に機関紙『EOUS』の編集に携わる。『数学セミナー』、『大学への数学』等に投稿を重ねた。1960年、京都大学理学部博士課程修了。京都大学理学部助手を経て、同大教養部助教授。在任中の1971年没。
京大全共闘の支持者で、以下のような詩を書き残している。全共闘=過激派系の京大新聞六九年四月七日号に掲載された「学問とは何かーハレンチな真実の叫び」と題する記事の一節である。
―ある自由の女神の独白― 教養部は大学の下半身ね。陽の当たらぬ場所、ゲットー、むさくるしい恥部ね。でも同時にだからこそ、愛と創生の局所。それを覆いかくしているバリケードはだからまさにパンティ。むりやりに、暴力で取り除かれるのはスカタないけどさ、自分で脱げって仰言るの、奥田センセアライヤダ、エッチでも暑くなって来たら、風通しのいいノーパンティにしようかな。それは、だアれにも言えない、わたしのヒミツ。フフフ。 (「京大闘争-京大神話の崩壊-京大新聞社編 京大全共闘協力」 三一書房 1969年6月15日発行第一版 366ページ「学問とは何か」ーハレンチな真実の叫び 教養部助教授 小針 晛宏)より
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