小笠原 寿長(壽長、おがさわら ひさなが、1854年9月19日(安政元年閏7月27日[1])- 1927年(昭和2年)10月[2])は、明治期の警察官、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・細川[1]。
元肥後宇土藩主・細川行芬の九男として生まれる[1]。旧豊前小倉新田(千束)藩主家当主・小笠原愛子(小笠原貞哲五女)の入夫となり、1876年(明治9年)5月24日に家督を継承[1]。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[3]。
1875年(明治8年)司法省出仕となる[2]。以後、大蔵省御用掛、大蔵属、陸軍省出仕、熊本県警部、福岡県警部、宮崎県警部、延岡裁判所書記、宮崎裁判所書記などを歴任した[2]。
1891年(明治24年)12月5日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[4][5]、1902年(明治35年)8月9日に辞職するまで2期在任した[2][6][7]。同年8月12日、小笠原家と離縁となり、同年8月28日、息子の恒が子爵を襲爵した[2][8]。
このほか1899年(明治32年)の東京市会議員選挙に牛込区から立候補して当選した[9]。