小田村 有芳(おだむら つねか、1879年12月3日 - 1965年4月5日)は、日本の実業家。元磯村産業会長。男爵楫取素彦の養孫。
経歴
山口県阿武郡に磯村應の五男として生まれ、男爵で元群馬県令の子・小田村希家の養子となる。1906年東京帝国大学機械工学科卒業。
1907年、群馬県旧烏渕村(現高崎市倉渕町)に山林を取得、製炭事業を行う。1910年、特許弁理士資格取得[1]。磯村工業所(磯村産業)専務、会長などを務めた。磯村工業所は東京市芝口と小石川区水道町に店を置き[2]、鉱山、土木、機械、電気、山林の調査設計工事と、特許手続きを業務とし、小田村のほか、実の兄弟の工学得業士・磯村秀策、工学士の磯村利水が所属し、磯村音介も社長を務めた[3]。
家族・親族
小田村家は儒者河野養哲の弟子であった小田村伊助公望(小田村鄜山、明和3年(1766年)8月23日没)を初代とする[4]。
- 実父・磯村応 ‐ 長州藩士
- 養父・小田村希家(1854-1932) ‐ 男爵楫取素彦と楫取寿の子。
- 実兄・磯村音介(1867-1934) ‐ 保土谷化学工業創業者。東京帝国大学法科中退後、京都府尋常中学校嘱託教諭、商業学校教師を経て、明治28年神戸商業会議所書記長となり、江商合資会社、日本精製糖(のちの日本製糖)などに勤務し、明治45年に日糖疑獄の贈賄犯として禁固4年の実刑判決を受け下獄、出所後、大正5年東洋曹達設立に加わり専務取締役となり、同14年より保土谷曹達社長[5][6]。
- 実兄・真鍋十蔵 ‐ 男爵。真鍋斌の養子
- 実弟・磯村秀策
- 実弟・磯村利水(1883-) ‐ 東北水産社長、女川町商工会会長
- 妻 治子(男爵楫取三郎の妹、希家の実弟楫取道明の娘)
- 長男 嘉穂 岳父に鈴木孝雄
- 長女 以登(島根県、岡本俊光に嫁す)
- 二男 寅二郎 ‐ 学者
- 二女 梅子(三井化学重役牧一雄に嫁す)
- 三男 泰彦
- 四男 四郎 ‐ 官僚
- 五男 五郎
系図
脚注
外部リンク