小澤 竜己(こざわ りゅうき、1988年2月6日 - )は、愛知県名古屋市出身の元サッカー選手。ポジションは主にフォワード(FW)。
次姉は女優の小澤真利奈。
3歳からサッカーを始め、小学4年から地元クラブの名古屋FCに所属[3]。2003年に青森山田高校に進学。1年時から背番号10を背負い[4] エースストライカーとして活躍[3]。3年生時には主将を務め[4]、同期のFW伊東俊とのコンビで[5]インターハイを制した[1][3]。選手権では同期の松本怜と共に優秀選手賞を受賞[6]。また、2004年にはU-16日本代表としてモンテギュー国際大会に出場し、決勝のイタリア戦でハットトリックを記録、優勝とともに得点王も獲得した[1][3]。
2006年にJリーグ・FC東京とプロ契約[7]。同年4月22日のG大阪戦がデビューとなった[8]。同年のヤマザキナビスコカップ・浦和戦で初の先発出場。MFでの起用となったが、豊富な運動量で[9] 中盤を活性化させた[10]。2007年5月、U-20日本代表として同年のU-20ワールドカップ参加メンバーの最終選考の場となったトレーニングキャンプに参加[11]。しかし、この頃より股関節痛を発症。それでも妥協を許さず練習を続ける姿勢が仇になり[12]、後にグロインペイン症候群と診断され離脱[2][13]。U-20ワールドカップ出場も逃した。
2008年、試合経験を積むためガイナーレ鳥取に期限付き移籍[14]。チーム最多となる11得点を挙げたが[15]、所属元のFC東京から契約非更新を通知され[16]、Jリーグ合同トライアウトに参加した[17]。2009年より、鳥取に完全移籍[18]。徐々に出場機会を減らし、2010年シーズン終了後、契約非更新となった。
2011年よりブラウブリッツ秋田に完全移籍[19][20]。3トップの布陣を採っていたこともあり、サイドでのプレーに取り組んだ[2]。クラブからは契約延長を打診されたものの、これを固辞し[2][21]、同年限りで退団。
2012年より、タイ・プレミアリーグのパタヤ・ユナイテッドFCへ加入[22]。同年6月に中足骨を骨折。その後、外国籍枠の関係によりパタヤから契約解除の申し出を受け退団した[23]。
2012年9月、ラトビア・ヴィルスリーガのFBグルベネへ移籍[24]。
2013年3月、ポーランド・KSグバルディア・コシャリンへ移籍[25]。右のサイドアタッカーとして出場を続けた[2]。2014年5月の第28節チェミク・ポリツェ戦でハットトリック達成[26]。
2022年3月5日、自身のtwitterにて現役引退を発表した[27]。
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