小栗 盛太郎(おぐり もりたろう、1871年7月9日(明治4年5月22日)[1] - 1949年(昭和24年)11月12日[2])は、日本の会計検査院検査官[3]。福岡県若松市長[3]。神奈川県横須賀市長[3]。
岐阜県出身。平民・小栗辨之右衛門の長男[1]。1892年(明治25年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業[1]。判事、検事を務めた後、会計検査院に転じ、検査官・第二部第二課長を務めた[1][3]。
後、福岡県若松市長を経て[3]、1928年(昭和3年)3月、神奈川県横須賀市長に就任した[4]。関東大震災の震災復旧、復興事業による赤字財政を立て直すため、経費の緊縮や海軍助成金の増額認可獲得などに奔走したが、世界恐慌の状況下でうまく事は運ばず、1930年(昭和5年)5月、病により辞任した[4]。
岐阜県、東京市外大久保町百人町[3]