小林 政子(こばやし まさこ、1924年2月29日 - 2008年6月28日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員(日本共産党公認)を5期務めた。日本共産党名誉幹部会顧問。
来歴
新潟県出身。日本大学を卒業後の1944年小学校教諭に就任。東京都教職員組合(都教組)足立支部執行委員婦人部長や全日本自由労働組合(全日自労)足立分会執行委員婦人部長を経て、1951年に足立区議(4期)、1967年には東京都議にそれぞれ当選する。
1969年の衆院選で旧東京10区(足立・葛飾・江戸川区)から出馬し初当選。この選挙では小林のほか、同じく共産党から不破哲三前議長や山原健二郎ら、自民党では森喜朗元首相や浜田幸一など、後に党・政界を牽引する人士が初当選を飾ったことから、「花の昭和44年組」とも称される。以後5期連続で当選し、1983年に地盤を佐藤祐弘に譲り引退を表明。
議員在職中の1973年4月26日に行われた衆議院物価問題等に関する特別委員会の中で、当時の田中角栄首相に対し事実無根の発言を行ったとして20日間の登院停止を命じられた。
2008年6月28日、呼吸不全により東京都足立区の自宅で死去[1]。84歳。
足立区初の日本共産党区議会議員、都議会議員、衆議院議員[2]で、足立区議会においては初の女性議員でもあった[2]。
著書
参考文献
脚注
- ^ 小林政子さん死去/元共産党衆院議員 四国新聞 2008年6月30日
- ^ a b 小林マサ子さんのこと額賀和子日本共産党足立区議会議員のブログより
関連項目