小島 文隆(こじま ふみたか、1954年1月16日 - 2015年5月12日)は、日本の雑誌編集者。東京都出身。
1980年(昭和55年)、アスキーに入社。「パソコンベンチャー」[1]のイメージが強い同社において、退社まで一貫して雑誌、ゲーム関連の仕事を手掛ける。
1984年(昭和59年)、『ログイン』編集長に就任。同誌をそれまでのパソコン技術系の誌面からゲームを中心とする娯楽系の誌面へと転換させる。これにより同誌は大きく部数を伸ばし、1988年(昭和63年)にはパソコン雑誌では日本初の月2回刊化を達成する。1986年(昭和61年)には『ファミコン通信』を創刊、初代編集長に就任し現在まで続く同誌の基礎を築いた。1988年には『MSXマガジン』でも編集長を務め、一時は3誌の編集長を兼任していた。1990年(平成2年)までに3誌の編集長職を順次後進に譲り、その後は雑誌・ゲーム部門を統括する第二編集統括本部長、常務取締役として、アスキーの「稼ぎ頭」[2]である部門を率い「天才編集者」[3]とまで呼ばれた。このほか、1989年(平成元年)にはパソコン初心者向けの雑誌『EYE-COM』の創刊にも携わっている[4]。
1996年(平成8年)、アスキー社長の西和彦との意見対立が表面化し、4月20日付で退社する[5]。小島と行動を共にしたメンバーとともに、一時はアスキー復帰に向けた交渉を西と持ったが[6]、結局決裂し、同年7月にアクセラを設立、代表取締役社長に就任する[7]。しかしアクセラは大きなヒット作を生み出すことができず、2000年(平成12年)10月に多額の負債を抱えて倒産した。小島はその後、出版の表舞台に出ることはなかった。
2015年(平成27年)5月、がんのため死去。61歳没。
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