小島 孤舟(こじま こしゅう、1870年代 - 1920年代)は、日本の小説家、劇作家、脚本家である。
人物・来歴
生年月日、生地等不詳。1870年代生まれか。
1899年(明治32年)7月号の文芸誌『新小説』(第2次、幸田露伴編集、1896年7月 - 1926年12月)に、『菅笠日記』を「孤舟生」名義で執筆している[1]。
1910年(明治43年)2月に大阪・杉本梁江堂から発行された小説『春の光』が、日本の国立国会図書館に所蔵されている小島孤舟の最古の単行本著作である[2]。翌1911年(明治44年)7月1日 - 同月20日、小島が脚色した新派劇『恨』が、京都市新京極の京都座で上演されている[3]。同月31日、小島の著作を原作に、京都の映画会社横田商会(現在の日活の前身の一社)が『緑』というタイトルで映画化、公開している[4]。
1917年(大正6年)6月5日、徳田秋声の小説『誘惑』の脚色を完成、片岡我童(のちの十二代片岡仁左衛門)らの出演で、同月9日、歌舞伎座で公演されている[5]。同年9月11日 - 同月20日、小島作の新派劇『浅草物語』が成美団の福井茂兵衛らの出演で歌舞伎座で公演されている[6]。1921年(大正10年)には、当時の大阪府の方面委員(現在の民生委員)の小河滋次郎が原作を執筆し、同府社会局が松竹蒲田撮影所に製作させた映画『生存の為に』の脚本を執筆、同作は牛原虚彦が監督し、ホール上映された[4]。
1922年(大正11年)5月31日 - 6月11日、小島作の連鎖劇『神楽の夜』が、大阪市道頓堀の中座で公演されている[7]。1924年(大正13年)3月19日 - 同月27日、前田曙山原作を小島が脚色し、幕内主任をつとめた新派劇『糸の乱れ』が京都座で上演されている。出演は梅島昇、花柳章太郎ほか、座主は松竹合名社(現在の松竹)であった[8]。
1926年(大正15年)までに20冊ほどの著作が書籍として出版され[2]、1932年(昭和7年)までに小島の著作を原作に、10本の映画が製作、公開されている[4]。50代と推測される1926年(昭和元年)以降の活動の形跡が存在しない。
ビブリオグラフィ
- 『菅笠日記』(『新小説』1899年7月号所収)、1899年7月 - 「孤舟生」名義
- 『春の光』、大阪・杉本梁江堂、1910年2月
- 『響』、大阪・田中書店、1911年8月 - エルクマン=シャトリアン『鈴の音』およびシェイクスピア『アテネのタイモン』の飜案改作、1918年/1932年映画化
- 再版 東京・磯部甲陽堂、1914年3月
- 復刻 『シェイクスピア翻訳文学書全集 24』所収、大空社、1999年10月 ISBN 475680537X
- 『浪がしら』、大阪・樋口隆文館、1912年7月
- 『新橋情話』、挿絵井川洗厓、磯部甲陽堂、1913年11月7日 - 1919年映画化
- 『怪美人』、磯部甲陽堂、1913年
- 『梅花録』、樋口隆文館、1913年
- 『春待つ人』、樋口隆文館、1914年
- 『おぼろ夜の頃』、春江堂書店、1914年
- 『蔭に咲く花』、樋口隆文館、1915年
- 『歌時雨』、樋口隆文館、1916年
- 『流るゝ星』、樋口隆文館、1916年
- 『恋の仇浪』、樋口隆文館、1916年
- 『春雨草紙』、樋口隆文館、1916年
- 『月に立つ影』、春江堂書店、1917年
- 『楊柳綺談』、贅六堂出版部、1917年
- 『巳之吉とお妻』、贅六堂、1918年
- 『復讐するまで』、三芳屋書店、1920年
- 『桜花咲く頃』、樋口隆文館、1926年
- 『愛と戦ふ人』、樋口隆文館、1926年
フィルモグラフィ
- 原作
おもなテアトログラフィ
- 作・脚色
関連事項
註
外部リンク