富重 利平[1](とみしげ りへい、天保8年4月15日[2](1837年5月19日) - 大正11年(1922年)2月7日)は、明治時代の写真家。
上野彦馬より写真術を習得し、彼と共に日本写真界の草分けとして活躍した。熊本で写真屋を開き、軍部の依頼で焼失前の熊本城その他を撮影。明治時代の風景、人物など貴重な記録を写真に残した。富重写真館は代々続き現在も存在する。
生涯
『冨重利平の作品集』より、森下功編の略年表による。
開業当時
開業当時は湿板法であったので、出張撮影の時は暗室の準備が必要であった。写真師は魔法使いと思われ気味悪がられたが、鎮台の兵士が来て大繁盛した。兵営に入り御用を勤めたので後に陸軍大将となる乃木希典・川上操六・児玉源太郎にも親しく出入りした。
乃木希典と利平
利平は乃木から、西南戦争で焼けた所を写してほしいとの依頼を受け、3日間彼の車に従って歩き、写真を撮影した。仕事の後、乃木からは「お前も大分戦争でひどい目にあったが金を持たんだろう。今日写したのを数千枚焼付けてくれ。金は一度にやっとく。この写真は今度の戦争で怪我をした人にやるつもり。たくさんの枚数で長くかかるだろうがそれはかまわぬ。」との声をかけられた。乃木の写真も現在に残っている。
性格
写真業界で価格競争が激しくなっても、利平はその間に先進技術の練磨に努め、研究を重ねた。また、彼は温厚篤実で人と争うことを好まず、社会公共のためには協力奉仕を惜しまず、衆望を負って種々の役職を引き受けて熊本市の発展に尽した。各種の救援、慈善事業、学校教育事業に多額の私財を寄付している。
撮影した人物、風景
など
脚注
- ^ 一部の文献に冨重利平とあるが、戸籍や墓地では富重表記である。
- ^ 戸籍には8月13日とある。
- ^ 文献(不明)によっては亀屋、また安部徳太郎とされる。
- ^ 正木三郎 『富重利平翁小伝』
- ^ Deutsches Hygiene-Museum Dresden(2005) Deutsches Hygiene-Museum, Dresden, Germany
文献
- 熊本県立美術館 第15回 熊本の美術展「冨重写真所の130年」、1993年
- 富重利平作品集刊行会 『冨重利平の作品集』、1977年 (森下功の略年表あり)
- 正木三郎 『富重利平翁小伝』、1963年 (熊本県近代文化功労者昭和38年度表彰)
- 富田紘一 『古写真に探る 熊本城と城下町』、1999年 熊本上代文化研究会
観覧項目
外部リンク