安藤 亀太郎(あんどう かめたろう、1859年6月6日(安政6年5月6日) - 1905年(明治38年)2月1日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(3期)。
経歴
相模小田原藩領足柄上郡沼田村[4](神奈川県足柄上郡岡本村、南足柄町を経て現南足柄市)で、名主[4]・安藤為之助の息子として生まれる[4]。1896年(明治29年)7月、東京法学院卒業。1876年(明治9年)8月、第二十一大区七小区足柄上郡沼田村御用掛を拝命し、学務委員を経て、1885年(明治18年)11月、神奈川県会議員に当選する。ほか、足柄上郡連合町村会議員、同郡塚原村外八箇村戸長、徴兵参事員を経て、1889年(明治22年)5月、岡本村長に就任した。1890年(明治23年)2月には神奈川県会議員に再選し、1892年(明治25年)4月、岡本村会議員となった。
1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙では神奈川県第6区から出馬し当選。つづく第6回、第7回総選挙でも当選し、衆議院議員を3期務めた。のち坐骨神経痛に悩まされ、1905年(明治38年)2月1日、縊死した。
脚注
- ^ a b c 『神奈川県姓氏家系大辞典』283頁。
参考文献