如月 寛多(きさらぎ かんた[3][4]、(1905年〈明治38年〉12月21日[3][1][5] - 1985年〈昭和60年〉3月14日)は、日本の俳優。別名・如月 寛太[1]。東京市出身[3][6]。
俳優になる前は「榎本健一の実家の煎餅卸し屋で使用人」をしていた[7][8]。
商業学校卒業後、1928年に東亜キネマに俳優として入社するが[3][2]、1930年には退社して、榎本健一の新カジノ・フォーリーに参加[3]。プペ・ダンサント、ピエル・ブリヤント、エノケン一座と、榎本と行動を共にする[4]。1934年、ピエル・ブリヤントがP.C.L.映画製作所(現在の東宝スタジオ)と契約し、エノケン映画の製作が始まると、その第1回作品『エノケンの青春酔虎伝』に出演、以後映画・テレビドラマを中心に脇役俳優として活躍した[3][6]。『エノケンの頑張り戦術』ではエノケンのライバル役で準主演し、以後のエノケン映画では中村是好と並んでたびたび主要俳優の一人をつとめている。1963年の時点ではカタバミ事務所に所属していた[5]。
加東大介の実体験に基づく『南の島に雪が降る』において、エノケン映画の人気俳優の名を騙る青戸(渥美清)という人物が登場するが、その「人気俳優」として名前を使われたのが如月寛多である。
※キネマ旬報映画データベース参照[9]。
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