天一坊 改行(てんいちぼう かいぎょう、元禄12年6月7日(1699年7月3日) - 享保14年4月21日(1729年5月18日))は、江戸時代中期の山伏。源氏坊 天一(げんじぼう てんいち)とも。将軍徳川吉宗の御落胤を称したが町奉行により処刑された。
来歴
元禄12年(1699年)、誕生。紀州田辺の生まれで、幼名は半之助というが真偽のほどは定かではない。母は「よし」といい、和歌山城に奉公に上がり、紀州藩主時代の吉宗の手がついて里へ帰され、産まれたのが改行だという。
14歳のときに母が死んだのを機に出家して山伏となり、改行と名乗った。この頃から自分は御落胤だと言いふらしていたという。
享保13年(1728年)、南品川宿に現れた改行は、近々大名に取立てになると称して浪人を集めた。不審に思った関東郡代が取り調べ、享保14年(1729年)に捕らえられた。勘定奉行の稲生正武の裁きを受けて死罪となり、鈴ヶ森刑場で獄門となった。
天一坊が登場する作品
脚注
関連項目