大村 純保(おおむら すみもり)は、江戸時代中期の大名。肥前国大村藩の第8代藩主。官位は従五位下・弾正少弼。
享保19年(1734年)2月22日、第7代藩主・大村純富の長男として大村にて誕生した。幼名は幾之助。
寛延元年(1748年)に父の死去により跡を継いだ。藩庁であった玖島城の石垣修理の許可を幕府に求めていたが、宝暦5年(1755年)6月に許可が降りた。
宝暦10年(1760年)12月16日に江戸にて27歳で死去し、次男の純鎮が跡を継いだ。墓所は東京都港区高輪の承教寺、東京都大田区の池上本門寺。
父母
正室
側室
子女