大島 靖(おおしま やすし、1915年(大正4年)1月30日[1] - 2010年(平成22年)8月7日)は、日本の政治家、官僚。第14代大阪市長。労働省労働基準局長。大阪市長を1971年から1987年まで、4期16年務めた。
経歴
1915年1月30日、和歌山県田辺市に生まれる。旧制和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業、1939年に内務省へ入省。
1949年から大阪府労働部長を務め、1954年に在ジュネーヴ領事へ転じた。1959年に労働省審議官に就任し、1960年には労働省労働基準局長に着任。1963年5月31日から中馬馨大阪市長のもとで大阪市助役となった。
しかし、1971年11月8日に中馬市長が急逝し(3期目在職中に死去)、後任を選ぶ大阪市長選挙(1971年12月19日投票)に社・公・民3党推薦で立候補。自民党が独自候補の擁立を断念し自主投票にまわる中、共産党推薦候補との一騎討ちを制して初当選を果たした。
1971年12月20日、第14代大阪市長に正式に就任。56歳での大阪市長就任は当時、戦後最年少であった[2]。2期目当選を目指した1975年11月30日の選挙以降は自民も推薦に加わり、以後3期目(1979年11月18日)・4期目(1983年11月20日)と自社公民相乗りで再選を果たす。
1987年12月18日に大阪市長を任期満了(5期目不出馬)で退任。最終的に1971年12月20日〜1987年12月18日まで4期16年市長職を務め、2013年11月現在で市長在任期間は歴代最長である。市長退任後は、財団法人大阪国際交流センター会長などを務めた。2010年8月7日、急性脳梗塞のため東京都内の病院で死去[3]。95歳没。
弟の弘は、東北財務局長を経て社会党衆議院議員1期を務めた。
脚註
関連項目
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官選 |
- 田村太兵衛1898.10.12-1901.8.10
- 鶴原定吉1901.8.31-1905.7.20
- 山下重威1905.12.11-1909.12.20
- 植村俊平1910.8.8-1912.7.25
- 肝付兼行1913.1.17-1913.8.1
- 池上四郎1913.10.15-1923.11.9
- 關一1923.11.30-1935.1.26
- 加々美武夫1935.2.12-1936.7.20
- 坂間棟治1936.7.20-1945.8.23
- 中井光次1945.9.8-1946.12.13
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公選 |
- 近藤博夫1947.4.7-1951.4.4
- 中井光次1951.4.25-1963.3.23
- 中馬馨1963.4.19-1971.11.8
- 大島靖1971.12.20-1987.12.18
- 西尾正也1987.12.19-1995.12.18
- 磯村隆文1995.12.19-2003.12.18
- 關淳一2003.12.19-2007.12.18
- 平松邦夫2007.12.19-2011.12.18
- 橋下徹2011.12.19-2015.12.18
- 吉村洋文2015.12.19-2019.3.21
- 松井一郎2019.4.8-2023.4.7
- 横山英幸2023.4.10-
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