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この項目では、西大平藩主の大岡忠移について説明しています。旗本の大岡忠移については「大岡忠移 (旗本)」をご覧ください。 |
大岡 忠移(おおおか ただより)は、三河国西大平藩第5代藩主。大岡忠恒の次男。大岡忠世家7代当主。
天明6年(1786年)、父・忠恒の養子として家督を継いでいた義兄(姉婿)の第4代藩主忠與の死去により、わずか2歳で家督を相続する。就任して間もなく、藩は財政難であったために寛政11年(1799年)に倹約令を布き、借金返済の停止や資金調達を行なった。享和元年(1801年)に日光祭礼奉行、翌年に大坂加番、文化2年(1805年)と文政7年(1824年)、2度日光祭礼奉行を務めた。文政11年(1828年)に病を理由に隠居し、家督を長男の忠愛に譲る。天保8年(1837年)に死去した。享年54。
系譜
父母
正室、継室
子女
脚注
- ^ 『系図纂要』では7月9日。
- ^ 『華族類別録』
- ^ a b 『華族家系大成』