大塚先儒墓所(おおつか せんじゅ ぼしょ)は、東京都文京区にある墓地。江戸時代の儒学者が儒葬(儒教式の葬式と祭祀)された。
概要
文京区大塚五丁目39番地に所在し、豊島岡墓地の北東側に隣接する(ただし、入り口は別である)。もともとこの場所は徳川秀忠と徳川頼房の儒師であった人見道生(人見ト幽軒)の邸宅であった[1]。寛文10年(1670年)に道生が没した際、遺体を邸宅内に葬ったのが儒葬墓地の始まりだとされる。
昭和5年(1930年)以降、東京市(当時)と斯文会とが共同で先儒祭を行っていたが、第二次世界大戦によって中断された。
第二次世界大戦終結後、斯文会によって先儒祭が再開され、以後、毎年挙行されている[1]。
古賀精里、尾藤二洲ら寛政の三博士(寛政の三助)はじめ木下順庵、室鳩巣らの墓がある。墓石は仏式よりもやや細長い「柱」状のものがある。
史跡指定
1921年(大正10年)3月3日、国の史跡に指定された。史跡管理団体は東京市(現東京都)であった(同年5月24日)。その後、近隣の吹上稲荷神社(墓地の入り口から50メートルほど南に所在する。)に管理が委託された。
ギャラリー
交通
脚注
- ^ a b 湯島聖堂のウェブサイトを参照。
関連項目
外部リンク
座標: 北緯35度43分23.0秒 東経139度43分43.5秒 / 北緯35.723056度 東経139.728750度 / 35.723056; 139.728750